自分はナニ人?

 ここではDie Kreuzungsstelleのテーマに関係する書籍を、新書・小説・研究書などジャンルに関わらず、また著・作者の思想信条に関わらず、関連するテーマのものはすべてを紹介して行く予定です。

2007,07,17
執筆者:Nikolaus 29歳
『アメラジアンの子供たち 知られざるマイノリティ問題
                              S・マーフィ重松 集英社新書 2002年
 
このコーナーを始めるにあたって、まず『アメラジアンの子供たち』を取り上げたのは、この本がDie Kreuzungsstelleの出発点となったからです。この本との出会いをきっかけに私は自らのアイデンティティについて、「ハーフ」と“呼ばれる”自分についてあらためて考えました。もし、この本との出会いが無かったら、このホームページ(ウェブサイト)も存在しなかったでしょう。


5年前、この本に出会ったとき私は「自分と同じ気持ちを抱いている人が他にもいる」という印象を持ちました。それは、当サイトDie Kreuzungsstelleに寄せられる感想と類似のものです(Voices参照のこと)。それ以来何度も読み返し、そこから多くのことを学びました。

 しかし、そうやって読んでいくうちに、この本の中で納得のいかない部分を発見し、その中で代表的なものをここで書くことにします。

 この本のオススメは「アイデンティティ」に関する記述です。「自分はナニ人?」などの問いについて考えている人、それを考える「可能性」のある子の両親にも有益な情報を与えてくれると思うため、ここで紹介することにしました。


内容紹介
 この本のテーマは大きく分ければ以下の二つです。

 @二つ以上のルーツを持つ人の帰属意識、「自分はナニ人か?」という問いについての探求など、アイデンティティの問題について。

 Aアメリカ軍のアジア諸国への駐留から生じた人間関係、男女関係から生まれた人々の各国における位置付け、その歴史的背景について。

 そして、これらのテーマを扱うためにこの本では「アメラジアン」という言葉が用いられています。ちなみに、著者は別のところで「アメラジアン」ではなく「日米ハーフ」(〔資料〕を参照)を用いて同様のテーマを扱っているため、日本について書かれている箇所は「アメラジアン」=「日米ハーフ」として読み進めても問題はないと思います。

 本書は、まず第一部第一章で、アメリカ合衆国での近年の動き、タイガー・ウッズに代表される「複数のアイデンティティ」の主張などについて簡単に触れられており、第二章でフィリピン、タイ、韓国、ヴェトナムで米軍関係者との間に生まれた人々を取り巻く状況、第三章で戦後の日本に生まれた日米をルーツに持つ人のアイデンティティや、その人々を取り巻いた社会状況について述べられています。
 第二部は「沖縄におけるアメラジアン」と題して、その人権問題、社会における位置付け、アイデンティティの葛藤について述べられています。


著者について
 著者のマーフィ重松は、1952年に東京でアイルランド系アメリカ市民の父親と愛媛県出身の日本国籍者の母親のもとに生まれました。家族(父母と二人の姉)は彼の生後アメリカのマサチューセッツ州に移り住み、以来27歳になるまで彼はアメリカを離れた事はなく、教育も全てアメリカのシステムの中で終えています。

 著者は幼い頃「私は日本人なのだろうか、アメリカ人なのだろうか」
(p.10)とよく考えたといいます。そして、そのような個人的な探求から大学では心理学を専攻し、自分のような境遇の人に関心を持ち、アメリカ合衆国内にとどまらず、日本(主に沖縄)、韓国、フィリピン、ヴェトナム、タイについても調査を行っています。この本は、彼の個人的な問いから出発し、類似の境遇にあると“彼が考えた人々”を「アメラジアン」という言葉でくくって記述されています。


難点・問題点: 「アメラジアン」という対象設定について

 この本でいう「アメラジアン」とは、「アジア国籍を持つ親とアメリカ国籍を持つ親との間に生まれた全ての人」(p.11)のことです。著者が「アメラジアン」という言葉を用いる理由は「アジア人とアメリカ人との間に生まれた子供の、より包括的なイメージを伝えたい」(p.13)からだといいます。

 この本で「アメラジアン」という言葉を用いる際に、筆者が注意深く独自の定義について述べるのは、「アメラジアン」という言葉が、著者自身も認めるように「米国軍人を父として生まれて棄てられた人、それもアジアに住む人だけを指して使われる場合が最も一般的」
(p.18)で、この言葉がある種の偏見を助長させてしまう可能性が高いからです。

 著者は「アメラジアン」という言葉が、そのようなネガティヴな印象を与えることを知りつつ、その言葉が喚起させるイメージに留まらない、彼のようにアメリカ合衆国で生まれ育った人にも、アジア諸国で育った人と部分的に共通する面があることを強調するために、問題がある言葉である「アメラジアン」を、あえて用いてこの本を執筆しています。そのように執筆した「ねらい」を「あとがき」で次のように述べています。

  「私は自分を混血という明確な分類に限定することに抵抗する。そうして、
  純粋な日本人などという明確な分類を信じようとしたり、構築しようとする有
  害な流れと戦いたい。そして、境界を超えた複数のアイデンティティを宣言す
  る。私は主流となる日本人が、私のような人々を箱に押し込めて孤立させる
  のを認めたくない。彼らが自分たちは別であるかのような幻想にとらわれ、
  孤立して安心していようとするのを認めたくない」
(p.231)

 もっとも、残念ながら、というか「アメラジアン」という言葉を用いたことによる当然の結果として、この本は父親が米軍と関係する人々のみをテーマとしている本としてしか読まれない可能性が高くなっています。そう考える根拠は以下の三つです。

 @初版の帯で『アメリカ軍事戦略の歴史を超えて』という広告文がつけられたため、購入者にそういう先入観が与えられてしまった(もっとも、主題の半分はカバーしているので、偏った広告文とは必ずしも言えないのだが)。

 A「アメラジアン」という言葉をこの本より先に知った人は、その先入観で読み進める可能性が高い
 
(「アメラジアン」という言葉が日本語の文脈で登場したのは1997年以降、それも沖縄の文脈からであるために、「アメラジアン」という言葉は「沖縄」「基地問題」を連想させやすい言葉となっている)

 B筆者自身の「アメラジアン」観が「アジア人とアメリカ人を親に持つ全ての人」ではなく、彼自身の生い立ちに強く影響されているため。
 (筆者は、本書の中で「アメラジアンの『Amer(アメ)』は私のアメリカ人である父を指し、『Asian(アジアン)』はアジア人の母を指している」
(p.11)と書いている。そのため彼の関心の多くが父:「アメリカ人」、母:「アジア人」の組合せに集中しているとも読め、そこから父が軍関係者の人だけに関心があるとも読める)。

 また、「アメラジアン」という言葉、そしてこのテーマについて記述することについては、以下のような指摘もなされています。

  『僕らについて書くという行為自体が、僕らを特別のように思わせることに
  なるけど、僕らは特別じゃないんだ。僕らについて書けば、僕らは別のカテ
  ゴリーに区別されることになる。けれど僕らは他の人たちとまったく変わりな
  いんだ』
(p.167)

 これは彼が「アメラジアン」について発表した際に、ある当事者によってなされた指摘です。ここでの問題は、「アメラジアン」としてある人々をピックアップすれば、その人が「周囲と同じでありたい」という願望、周囲と同じく「区別されたくない」という気持ちを抱いている場合、その望みを踏みにじることになってしまうということです(本ウェブサイト、コラム「自分はナニ人?」所収、Courtneyさんの「日本人になりたかった?!」を参照のこと)

 このテーマの難しさは、「区別」されていることを問題にして書けば書くほど、その「区別」を余計に助長させてしまうということにあるでしょう。
 これは「ハーフ」や「ダブル」、「混血」や「ミックス」という枠組みが不必要なもの、将来は無くなるべきものだと考えてはいるけれど、実際に社会にはそのような区別が存在しているため、あえてこれらの分類を用いざるをえない当サイトの問題と共通しています。

 おそらく、著者が「アメラジアン」という言葉を用いたのは、そのキーワードを用いた方が出版しやすいという出版当時の状況があったからだと思います。流行の言葉である「アメラジアン」を用いなければ出版できなかったため、あえて問題の多い言葉を用いたのかもしれません。

 なお、著者はこの本で「アメラジアン」と設定したものは、「人工的に造られたもの、つまり私たちの心の中にだけに存在する『想像の共同体』」(p.231)であるという見解を示してます。これはつまり、「アメラジアン」という集団はもともと存在せず、それはそれぞれの書き手、言葉の用い手によって再定義され、生み出され続ける枠組みでしかないということを指しています。

 これを「ハーフ」という言葉に置き換えて考えてみると、「ハーフ」と呼ばれて育った人が想定する可能性のある「同じハーフ」という仲間集団は、その人の想像による創造物に過ぎないということです(これは「日本人」や「アメリカ人」という枠組みにも言え、詳しくはベネディクト・アンダーソン著『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』を参照のこと)

 ※「アメラジアン」という単語の使用については、2007年8月5日(日)に著者のS・マーフィ重松氏と会う機会があり、その際にこのことを聴いたところ「『アメラジアン』という言葉の使用は出版社側から要望されたものだった」と教えて頂きました。

〔資料〕
 ・「マルチエスニック人と日本社会」(1994)
        横田雅弘・堀江学編『異文化接触と日本人』現代のエスプリ 322 pp.177-185
 ・「沖縄の日米ハーフに対するステレオタイプ」(1994)
        沖縄心理学会編 『沖縄の人と心』(第6章 pp.53-57)九州大学出版会

 この二つの論文はスティーヴン・マーフィ重松氏について、そして『アメラジアンの子供たち』をより理解するために役立つ資料だと思いますので、ここで紹介したいと思います。




「マルチエスニック人と日本社会」
 
構成
 マルチエスニック人として/アメリカのマルチエスニック人/マルチエスニック人の呼称「合いの子」/「混血児」/「ハーフ」/マルチエスニック人に立ちふさがる壁と日本の受け入れ姿勢/外国人に対する固定観念/単一民族志向


言葉の定義
 まず、この論文における「マルチエスニック人」とは「複数の民族的バックグラウンドを持つ人」(p.178)で、その中に「ハーフ」も位置づけることが出来ると著者は定義しています。そして、著者によると近年アメリカでも「マルチエスニック人」が増えており、マルチエスニック人によるグループも形成されているといいます。

 もっとも、アメリカでは「マルチエスニック人(Multiethnic people)」というよりも「Mixed-race(ミックスド・レイス)」や「Multiraccial(マルチ・レイシャル)」「Biracial(バイ・レイシャル)」の方が一般的に用いられています。

 ちなみに、「Multi(マルチ)」は複数の、「Bi(バイ)」は二つの「レイス」の組合せで、「マルチレイシャル」の場合は、「イタリア系中華系ネイティブ・アメリカン系アメリカ市民」のような、複数のルーツを持つ人を指すという説明がなされます。

 なお、ここでいう「民族」が何を指しているかについて著者は本論で述べていませんが、おそらくそれは外見に現れる特徴や、言語、慣習などで判断して創られた「仲間集団」を指すものだと考えます。とりわけ本論では「外見に現れる特徴」を重視しているとも読めます。


内容紹介・解説・批評
 本論文は『アメラジアンの子供たち』の8年前に発表されたものですが、その構成や内容は『アメラジアンの子供たち』に近いものとなっています。「マルチエスニック人」を「アメラジアン」と置き換えれば、そこで述べられていることは『アメラジアンの子供たち』のいくつかの記述内容と重なります。

 先に「『アメラジアン』という言葉を用いなければ彼の研究成果を発表できなかったのではないか」という考えを書きましたが、それは本論を読んだことからの考察です。ここで著者が「マルチエスニック人」としている対象、その精神が、そのまま『アメラジアンの子供たち』にも受け継がれているため、おそらく彼が本当に用いたかった言葉は「マルチエスニック人」ではないかと考えるに至りました。

 しかし、著者の「マルチエスニック人」もまた「アメラジアン」という定義同様に彼の出生に影響されています。著者は本論中で「ハーフ」を「日本人とアメリカ人の間に生まれた混血」(p.177)であると説明しており、アメリカの場合のように多様な組合せのあることを無視してしまっています。

 また、著者は本論で 「アメリカに比べ、マルチエスニック人に対する日本の社会意識ははるかに遅れている」(p.179)と述べており、「進んでいる」「遅れている」という比較の行ない方に、どこか「アメリカ中心主義」的な発想が垣間見られます。

 しかし、そのような問題はあるものの、この短い論文はとても多くの知見を与えてくれます。ここで著者が記述したものを検討し、歴史的事実を精査して行けば、より多くの知見を得ることが出来るでしょう。


「沖縄の日米ハーフに対するステレオタイプ」

構成
 背景/アメリカ軍の象徴としてのステレオタイプ/否定的なステレオタイプ/国際的なハーフ、新しいステレオタイプ/辺境人としてのステレオタイプ/ステレオタイプの心理的な影響、いじめ/終結

内容紹介・解説・批評
 本論もまた『アメラジアンの子供たち』の下地になっている論文で、「マルチエスニック人と日本社会」とほぼ同時期に発表されています。こちらは「ステレオタイプ(紋切り型/固定観念)」をキーワードにして述べられています。

 内容は『アメラジアンの子供たち』の沖縄に関する記述と一致する部分もあり、部分的にはこちらの方がより詳しい説明になっています。しかし、本論が『アメラジアンの子供たち』と異なっているのは、そこではオブラートに包んでいる記述が、こちらではストレートに表現されていることです。

 例えば、著者は日米ハーフに向けられるステレオタイプのひとつに「米軍基地の被害者」というのがあり、それは「特にマスコミや政治団体がハーフを被害者に仕立て上げ、一般の同情と憐れみを誘って、アメリカ軍の沖縄撤退を訴える格好の材料」(p.54)として広められたものだと言います。

 著者は1994年時点で、過去の記録をもとにこのような見解を示したのですが、この見解は3年後の1997年から始まる「アメラジアンの教育権」を巡る運動、2000年の九州・沖縄サミットの際の報道のされ方においても当てはまるものとなったと考えます。

 本論の中心テーマである「ステレオタイプ(紋切り型/固定観念)」の問題性については、以下のように述べられています。

  「ステレオタイプの弊害は、すべてのハーフがそのステレオタイプに当てはめら
  れてしまうことである。偏見の目で見ると、相手を個人として見ずに、物としてし
  か見えなくなり、直接差別と結びつく。否定的なステレオタイプは多数派に優越
  感を与え、危機感を植え付ける一方、少数派には劣等感を植えつけ、そのス
  テレオタイプを打ち破るために相当の努力を強いるのである」(p.54)

 また、「否定的ステレオタイプ」の反対にある「肯定的ステレオタイプ」、すなわち「バイリンガル、バイカルチャー、モデル、ミュージシャン、エンターテイナー、美人」(p.55)などのイメージについても以下のように批判がなされています。

   「肯定的なステレオタイプは、素晴らしい容貌や、語学力が自然に備わって
   いるものだとする多数派の押し付けである。その能力が本人の努力によっ
   て得られたものであるとか、知能の高さによるものだとは決して評価しない
   のである」(p.55)

 さらに、本論で興味深いのは「辺境人としてのステレオタイプ」について述べた箇所です。「辺境人」とは「2つの社会や集団に帰属していながら、本当の意味ではどちらにも帰属していない心理状態の人たち」(p.55)のこと指しています。
 この「辺境人」という概念は20世紀初頭(1928年)のアメリカでR・E・パーク(Park)が提唱した「マージナルマン(marginal man)」(日本語では「境界人」「辺境人」「マージナルマン」と表記)のことで、これは「学問」というものが作り出すステレオタイプの典型例だと言えます。

 ちなみに、この「マージナルマン」概念が生まれた背景には、20世紀初頭の世界のグローバル化が関係しています。当時は「グローバル化」とは表現しませんでしたし、その背景も異なりますが、20世紀初頭にもヨーロッパからだけではなく、日本からもアメリカやブラジルに多くの人が渡りました(もっとも、アメリカでは中国や日本からの移民にだけは制限が加えられた時期もありました)
 また、日本から朝鮮半島、中国大陸、台湾に出て行った人々、そして、そこから反対に渡って来た人々もいました。いまとは異なりますが、20世紀初頭もグローバル化の時代と言え、その時代背景のもとにこの「マージナルマン」という考え方は生まれたのです。

 もっとも、「社会的には辺境的な状況に生まれても、全員が辺境的な心理状態に陥るわけではない」(p.55)という指摘があるということを念頭に置く必要があると著者は述べています

 本論は他の著作や論文同様多くの知見を与えてくれるものではありますが、そこで述べられた次の見解には疑問を覚えざるをえませんでした。

   沖縄人は自分たちは本土から差別を受けたという被害者意識を持ってい
  る。そして沖縄のマイノリティであるハーフは沖縄人から差別されているとい
  う被害者意識を持っている。自分だけが被害者であるという意識は時として
  人を傲慢にさせる。沖縄人が自ら加害者意識を持ち、マイノリティであるハー
  フの置かれた状況をもっと理解しようと努めるとき、さらに精神的に成長でき
  るはずである」 (p.57)

 ここでの「自分だけが被害者であるという意識は時として人を傲慢にさせる」という指摘はもっともな意見だと思いますが、「沖縄人」と「ハーフ」を完全に別の存在のように書いたことと、「精神的に成長」という表現の二点に関しては問題があると思います。
 
 まず、一点目の「沖縄人」と「ハーフ」という分類については、「ハーフ」と呼ばれる人が「沖縄人」というアイデンティティを主張することを否定してしまっている点が問題だと思います。
 本論の8年後に出版された『アメラジアンの子供たち』で筆者は境界を越えた「複数のアイデンティティ」を宣言していますが、本論で著者は自らで境界を確定し、それをより強固なものとして書いてしまいました。

 次に二点目は、「マルチエスニック人と日本社会」において見られたように、アメリカを基準としたように読める「進んでいる」「遅れている」という表現、ここでは「成長」という表現です。
 すべての社会/国に精通しているわけではないですが、この地球上には完璧な社会/国などというものは存在しないと思います。ある面では過ごしやすい社会/国でも、ある面では過ごしにくくする制度なり慣習を持っていて、「遅れている」「進んでいる」ということは一概には言えません。他の社会/国の慣習・状況は参照するものであって、見習うべき目標としてみるもの、押し付けるものではないと考えるため、本論に少し違和感を覚えました。

2008,01,14
執筆者:Nikolaus 29歳
 『GO 金城一紀 講談社 2000年

「日本人って、なに?」「国籍って、なに?」という問いを、親しみやすい文体と、所々に軽妙な冗談を交えながら考えている作品


 このホームページ(Die Kreuzungsstelle)で主題にしていること、例えば「自分はナニ人か?」「国籍とはナニか?」、について私が深く考えるようになったのは、小学生のときから常に身近に「在日コリアン(韓国・朝鮮人)」という枠組みでくくられる人がいたからです。

 外見的に目立ってヨソ者扱いをうける自分と、外見的には周囲の「日本人」と変わりがないのに、国籍が日本国ではなかったり、
「在日」ということでヨソ者扱いされたりする(ヨソ者であることを望む人もいる)彼・彼女らとの境遇と比べることで、私は「日本人であること」や「国籍」の意味について考えて来ました。

 両親の片方が他国出身者だったり、両方がそうだったり、また幼い頃から国と国、文化と文化の間を何度も行き来しているからといって、誰しもが「国籍」や「日本人」の意味について考える事はないでしょう。

 しかし、もし「自分はナニ人か?」や「日本人とは誰か?」という問いについて日本で考えるなら、『GO』で提起されているような「問題」を避けてそれを考えることは出来ないと思い、この小説を紹介することにしました。

『GO』の主題
 この小説の主題は、作者が冒頭で「ここでまず断っておきたいのだけれど、これは僕の恋愛に関する物語だ」
(p.5)と主人公に断らせているように、“恋愛”です。

 しかし、「恋愛小説」であることを作中人物に語らせるのは、それがただの恋愛小説ではないということの証のようなもの。「日本人って、なに?」「人にとって国籍って、どういう意味があるのか?」を作者が主題としていることは、作品を読み進めていけば気付くと思います。そして、作者はその問いをウィリアム・シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の台詞を最初のページで引用することで読者に投げかけています。

    名前ってなに?
    バラと呼んでいる花を
    別の名前にしてみても美しい香りはそのまま
(小田島雄志 訳)

 「名前に何があると言うの?薔薇の花を別の名前で呼んでみても甘い香りは失せはしない」
 (福田恒在 訳)

 これは『ロミオとジュリエット』の〔第二幕第二場〕の「おお、ロミオ、ロミオ!なぜあなたはロミオなの?」
(福田 訳)という台詞に続くものです。モンタギュー家とキャピュレット家という敵同士の家の者であるため、結ばれることが許されない運命にある二人。もし、ロミオがモンタギューという“名前(家名)”を背負って無ければ、自分たちの恋は周囲から祝福されるものなのに、実際はそうではない。そのようなジュリエットの嘆きの気持ちが込められている台詞に続くのが『GO』で引用された台詞です。

 もっとも、この引用は『ロミオとジュリエット』の話の筋を想起させるためのものではありません。『GO』ではロミオという個人名や、キャピュレットやモンタギューという家名ではなく、「韓国人」「朝鮮人」「日本人」という「民族名」(国籍)が「名前」にあたり、「民族って、なに?国籍って、なに?」という問いが貫かれていて、その問いを考える材料としてオヤジ(主人公の父親)や主人公が登場します。

主人公について
 『GO』の主人公は都内の私立高校に通う元バスケット部員の高校生。父親(オヤジ)が元プロボクサーでパチンコ屋の景品交換所の経営者で母親は専業主婦。オヤジにボクシングの手ほどきを受けたため、挑まれた喧嘩では負け知らずな“ヤンチャ坊主”という言葉が似合う少年。しかし、ただのヤンチャ坊主ではなく、高校生にして“人類学”や“考古学”などの専門書も読みこんでいる人物。

国籍って、なに?
 例えば、主人公の父親は日本が朝鮮半島を植民地支配していたとき(1910〜1945年)、いまは韓国(大韓民国)領となっている済州島(チェジュド)に生まれ、戦前に日本に渡って来たという設定です。当時は内地戸籍・外地戸籍という差はあったものの、オヤジは「日本人」(国籍)として生まれています。

 そして敗戦(終戦)によって日本が全ての海外領土を放棄したことでオヤジは日本国籍(「日本人」)でなくなり、朝鮮半島に出来た二つの国家のどちらかの国籍を選ばなければならない身分になります。そこでオヤジは、思想信条的理由から「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)国籍」を選んだということになっていますが、物語の冒頭で「ハワイ」に行きたいという理由から、朝鮮籍から韓国籍へと国籍を変更するエピソードが書かれています。

 また、主人公も国籍を変更するのですが、その際の気持ちを作者は次のように言わせています。「僕はある日を境に、《在日朝鮮人》から《在日韓国人》に変わった。でも、僕自身は何も変わってなかった。変わらなかった」
(p.15)と。

 ここでは一人の人間が、人生のなかで国籍を変更していることを例に描くことで、「人にとって国籍はどんな意味をもつのか?」という問いが読者に投げかけられていると思います。

民族って、なに?
 ある国家の構成員(国民)であることの法的根拠が「国籍」ならば、親子や先祖とのつながり、血のつながりで過去とにつながっているものが「民族」と“仮に”定義できるかもしれません。しかし、作者は主人公とその友人を通して遺伝子(血統)による「民族」という想念についても読者に考えるきっかけを与えてくれています。

 例えば、主人公の「僕」は、中学校まで朝鮮学校(民族学校)に通う《在日朝鮮人》でしたが、国籍を韓国に変更し《在日韓国人》になります。そして、そのことにより民族学校で「民族反逆者」「裏切り者」呼ばわりされ、また韓国へ行った際にも在日(同胞)への偏見、「《在日》は恵まれた日本で、苦労もせず何不自由なく暮らしている《韓国人》という共通認識」
(p.83)から生じたと思われる出来事に遭遇するという描写から「同胞とは何か?」という問いを投げかけています。

  また、正一(ジョンイル)という、「韓国籍で、韓国と日本のハーフ」
(p.73)で朝鮮学校に通う人物を登場させ、遺伝子(血)を根拠に「民族」を定義することの意味について考える材料が提供されています。

理性と感情の間で
 主人公は人類学や考古学の知識があるという設定のため、しばしばその知識を周囲に披露します。そして、自分たちが経験する「差別」と闘うためにはそれらの中の「正しい」知識を身につける必要があると語ります。

    「国籍とか民族を根拠に差別する奴は、無知で弱くて可哀想な奴なんだ。
    だから、俺たちが色々なこと知って、強くなって、そいつらを許してやれば
    いいんだよ」
(p.91)

と。しかし、そのように理論武装(理屈)で挑もうとする主人公も、やがて感情的な拒絶の前では理屈は意味を無さない、理性(理屈)と感情は相容れない、ということを知ることになります。その理性と感情の間で悩む主人公がどうやってそれを乗越えたのか、そこがこの小説の注目箇所のひとつだと思います。

まとめ
 『GO』は、「民族」「国籍」というテーマについて、また「日本人とは何か?」「自分はナニ人か?」というテーマについて考える際に「学問(学術研究)の権威」を拠り所にする傾向をもつ人がたどる思考回路を凝縮したような小説に仕上がっていると思います。

 「恋愛小説」として若い読者を引き付け、軽妙な語り口でスラスラ読めるようにし、その中に所々それらの深いテーマを盛込むという手法には感心させられます。もっとも、そこで語られていることは直接的な表現が多いため「教科書」的知識の羅列だという見方もあるでしょうが、そういう「教科書」的知識を全く知らない人たちがいる以上、それは避けることが出来なかったのだと思います。

 なお、この小説は、格闘(暴力)描写が多く、また軽い文章スタイルのため重厚な文学を好む人には評価されないかもしれません。しかし、それらの手法が若い世代の読者を惹きつけ、より多くの読者を手に入れるための手法とみたとき、それは評価に値するものだと思います。

 ちなみに、作者は自らを「コリアン・ジャパニーズ」(韓国・朝鮮系日本人と訳せる)として定義しており、「在日」という枠を越えた「自分」を定義しています。そういう自己認識に至る経緯を、作者はこの作品で表現したかったのかもしれません。

最後に、『GO』でもっとも印象深かった主人公(作者)の言葉を引用しておきます。

  「俺はおまえら日本人のことを、時々どいつもこいつもぶっ殺してやりたくなる
  よ。おまえら、どうしてなんの疑問もなく俺のことを《在日》だなんて呼びやがる
  んだ?俺はこの国で生まれてこの国で育ってるんだぞ。在日米軍とか在日イラ
  ン人みたいに外から来てる連中と同じ呼び方するんじゃねえよ。《在日》って呼
  ぶってことは、おまえら俺がいつかこの国から出てくよそ者って言ってるような
  もんなんだぞ。分かってんのかよ。そんなこと一度でも考えたことあんのかよ」
   (中略)
  「別にいいよ、おまえらが俺のことを《在日》ってよびたきゃそう呼べよ。おまえ
  ら、俺が恐いんだろ?何かに分類して、名前をつけなきゃ安心できないんだ
  ろ?俺は認めねえぞ。(中略)言っとくけどな、俺は《在日》でも、韓国人でも、
  朝鮮人でも、モンゴロイドでもねえんだ。俺を狭いところに押し込めるのはやめ
  てくれ。俺は俺なんだ。いや、俺は俺であることも嫌なんだよ。俺は俺であるこ
  とからも解放されたいんだ。(以下省略)
(p.233)

 小説の終盤で語られるこの部分が、冒頭の『ロミオとジュリエット』の引用の答えになっている部分なのでしょう。「韓国人」や「朝鮮人」という枠組みを離れて「自分は自分」という考えにたどり着き、さらに「自分」というものを超越しようとする主人公(作者)の声は、このホームページ(Die Kreuzungsstelle)に寄せられている声と重なるように思います。


2008,02,01
執筆者:Nikolaus 29歳
 『君はこの国を好きか 鷺沢 萌 新潮社 1997年

「自分はナニ者(ナニ人)か?」を、
主人公たちの心の内を繊細に描く事で考えた作品


 「君はこの国を好きか」、この表題を初めて見たとき、私はこの問いが自分に向けられたものだと思いました。「日本人」として“認められたい”と思いながら“認められない”、そのことに憤りを感じつつ、それでも“認められる”ことにこだわり続けていた自分への問い、それが「君はこの国を好きか」。

 しかし、ここでの“この国”とは韓国(大韓民国)のこと。この著作は韓国にルーツのある著者、鷺沢 萌(めぐむ)自身が「韓国人“であること”とは、どういうことか?」を「ほんとうの夏」「君はこの国を
好きか」の二つの短編小説を通して探求しています。

   やっと宿題を終えた―。そんなふうに思っている。
  「ほんとうの夏」から「君はこの国を好きか」まで、五年もの歳月が流れてしまった。
  それを再認識して今びっくりしているくらい、私にとっては瞬く間に過ぎた五年であ
  った。
   実は「ほんとうの夏」には、当初違うタイトルが付けられていた。諸般の事情で変
  更されたが、最初にこの小説に付けたタイトルは「もっと、もっと」というものであっ
  た。
   もっと、もっと―。
   終わらぬ宿題を目の前にしながらもがいていた五年間、私が胸の中で呟き続け
  ていたのは正にこの台詞(せりふ)であったかも知れない。
                                        (「あとがき」p.234)

 自らに課した宿題を、著者がどのような形で終わらせたのか、その過程を読むことは現在「自分はナニ人か?」という問いを考えている人に、また過去に一度でも考えたことのある人に、何か良いヒントを与えてくれるかもしれません。

「ほんとうの夏」から「君はこの国が好きか」へ
 「ほんとうの夏」は、一人の「(在日)韓国人」の大学生の「自分が“韓国人”であるということは、どういうことか?」を探求する物語です。

 主人公(俊之)は東京で生まれ、自らが「(在日)韓国人」であることをあまり意識せずに育ちます。しかし、彼女(芳佳)を大学へ送る途中に自動車事故を起こし、免許証をめぐるやり取りを“見られまい”として彼女と喧嘩してしまったところから、「“韓国人”であること」について考え始めます。

   韓国人であることを特別に隠してきたつもりはない。いや、少なくとも隠そうと
  意識してきたわけではなかった。ただ、本人はそれが自分の名前だと思っている
  「通名」をずっと使ってきたし、なんとなくそういうことになってしまっていたと言うよ
  り他ない。
   (中略)
   そう、「隠したい」と明確に意識したことはなかった―はずであった。それなのに、
  あのとき俊之が真っ先に考えたのは芳佳をこの場から立ち去らせなくては、という
  ことだった。(p.28)〔下線筆者〕

 「自分が(在日)韓国人であること、とは?」、その事故をきっかけに主人公はあらためて自らに問います。「通名」で生活するのを当たり前のこととして受け入れ、周囲もそうしているから自分もという程度にしか考えていないことが、実は自分が「隠したい」と思っていたことだったのか、と。

 しかし、そうやって自問自答していく中で、友人や従兄弟との会話を通して「韓国人」の基盤である(と作者が考える)韓国語に関心を持ち始める辺りで、「ほんとうの夏」の主人公の自分探しの探求は一旦終わります。

  「え、ウリマルって何?」
  俊之がそう訊ねると、スンジャとスミョンが同時に答えてくれる。
  「わたしたちのことば」
  「わたしたちのことば・・・・・・?」
  おうむ返しに俊之が言うと、スンジャが付け足すように言った。
  「うん、ウリがわたしたちでマルがことば。韓国語って意味」
  俊之は「ふうん・・・・・・」と呟きながら、心の中でもっと、もっと、を繰り返す。
    (中略)
  ―ウリマル、わたしたちのことば・・・・・・。(p.95)

 はじめは「隠す」というところから始まり、「なぜ自分は隠そうと思ったのか?」を問い、そして友人たちとの交流から「韓国人であること」と向き合い、「韓国語」を「わたしたちのことば」として意識し始める。「ほんとうの夏」は、主人公が「韓国人」として“目覚め”るまでの過程を描いた作品です。そして、それはおそらく作者自身の「(在日)韓国人」としての“目覚め”を描いたものなのかもしれません。

「君はこの国を好きか」
 アメリカでの「在美僑胞(チェミ・キョッポ:在アメリカ同胞の意)」との女性との出会いから「韓国語」に関心をもち始め、韓国への語学留学を決意する主人公(雅美:アミ)の「わたしは、“ほんとう”は何者なのか?」を探求する物語が「君はこの国を好きか」。

   ジニーとの初対面の印象は強烈だった。
   雅美が名前を言うと、ジニーはいきなり韓国語で話しかけてきたのである。そう
  して、そのとき二十二歳だった雅美は韓国語で数を数えることさえできなかった。
   国籍は韓国であっても、自分の家は親の代からすでに日本で生まれ育ってい
  て、教育もすべて日本で受けてきているから韓国語は話せないのだ、と雅美は
  英語で説明した。するとジニーはひどく不思議そうな表情になって首を傾げ、戸惑
  っている様子さえ見せながら雅美に問いかけたのだった。
  ―Are you quite sure you are a Korean?
   その口調や表情に、非難めいたものや義憤といった種類のものがひと片(かけ)
  らも混じっていなかったことが、逆に雅美を慌てさせた。(p.111-112)

 「韓国語ができないのに、わたしは韓国人なのか?」、生まれ育った国である日本ではなく、「祖国」(と考える)韓国でもないアメリカで、“韓国で生まれ育った「韓国人」”との出会いが、主人公に韓国留学を決意させます。

 主人公にとって、彼女がアメリカで“韓国生まれの「韓国人」”に出会うまで、自分が「韓国人」であるということは、それほど大きな意味をもっていません。ただ“ヨソの家と違う”、それだけのこととして主人公は受け止めています。

   少なくとも雅美は自分の国籍や、まして家族を、恥ずかしく感じたことは一度も
  なかった。ただ単純に、他の大多数とは少し違う、という感覚だけがあった。その
  感覚ですら、だってウチには苗字がふたつあるもん、というような、非常に幼い直
  裁的なものだった。(p.116)

 そして、日本に対しての感情も、それほど強烈な否定の感情を持っていたわけでもなく、

   それはあくまでも日本という国と国の制度に向けられる「腹立ち」であって、ウチ
  が韓国人だから、というように内側に向かう「恥」には決してならなかった。(p.116)

 そのように、日本国の制度などには「腹立ち」を覚えるが、それ以外の面では日本に対して、そしてそこに住む人に対して特別に“負の感情”を持ち得ない主人公が、アメリカでの出会いをきっかけに韓国語に目覚めたときの気持ちは、「あたしはハングルに感電したのだ―」(p.132)、というもの。

 しかし、そうやって留学した韓国だが、そこには“好きになれない”要素が出てきます。「『慣れるしかない』ようなことは、実際いちいち数えていられないほど多かった」(p.139)

   この国の人々のがさつさ、煩(うるさ)さ、図々しさ、慣れなくては慣れなくてはと
  自分自身に言い聞かせてもやはり慣れることができない、と。韓国籍を持っている
  自分が、まだ上手に韓国語を話せないということだけで、なぜこんなにも肩身の狭
  い思いをしなければならないのか、と。日本にいるときは韓国人であることを恥ず
  かしく思ったことなど一度もない自分が、自国にいて、こんな恥ずかしい思いをす
  るのはどうしてなのか、と。(p.143)

 「韓国人“なのに”できない」ことがあることへの葛藤、それがこの物語の主人公を悩ませます。しかし、そのような葛藤を経験し、それと向き合いながら、主人公は徐々に留学の目的であった語学力の向上を達成し、韓国人並みに韓国のことを肌で感じることが出来るまでになり、そしてこう思います。

   なりたかった何者かになれたかどうか、やりたかったことをやれたかどうかは定
  かではないが、とにかく自分は変わった―。友人の笑顔を見ながら雅美はそう思
  った。(p.221)

 そのような主人公に対して問いかけられたのが「君はこの国を好きか」。

『君はこの国を好きか』と『GO』を比べて
 『君はこの国を好きか』と『GO』は、ともに「在日コリアン(韓国・朝鮮人)」を題材にした作品という共通点があります。

 一方は《在日朝鮮人》で中学校まで民族学校、その後《在日韓国人》となり日本式(文科省指導下)の学校に通った主人公で、もう一方は「在日韓国人」でずっと日本式の学校に通った主人公たち。そして、主人公たちは共に「在日3世」。
(ちなみに、作者の金城一紀と鷺沢萌が共に1968年生まれで東京育ちという共通点もあります。)

 しかし、『君はこの国を好きか』と『GO』は互いに相反する要素をもった作品です。

 まず、『君はこの国を好きか』には「恥(はじ)」という考え方が出てきますが、『GO』はそのような内向きな考えは見られません。自分の出自(ルーツ)を言わない場面は『GO』でも描かれていますが、それは《在日朝鮮人/韓国人》ということを「恥ずかしい」と考えるからではなく、“「外国人」に対する偏見をもっている人”への一つの防衛策として描かれています。

 また、『GO』では、日本に住む多くの人へのあからさまな憤りが表現されている一方、『君はこの国を好きか』に収められた二作品にはそのようなものはなく、主人公たちは憤る気持ちを「日本人」へ向けず、自分自身のなかに仕舞い込んでいきます。

 そして、なかでも『君はこの国を好きか』と『GO』との大きな違いは、日本でもコリア(韓国・北朝鮮)でもない場所(ここではアメリカ)を視野に入れた比較の視点の有無です。『GO』にはないその視点が、例えば『君はこの国を好きか』では日本(在日)とアメリカ(在米)の「韓国人」の“韓国への想い”の違いが生じる原因で表現しています。

   アメリカで生まれた韓国人と日本で生まれた韓国人のあいだにあるそうした
  差は、すなわちアメリカという国と日本という国の差である。肌の色も目の色も
  違うたくさんの人間が、あちこちで摩擦と軋轢を引き起こしながらも長いことひと
  つところで暮らしていた国と、肌の色も目の色も同じであるから尚のこと互いに
  憎悪を抱き、しかし、その結果当然起こる摩擦や軋轢は「ないもの」として水面
  下に隠し続けてきた国との差である。
                     (『君はこの国を好きか』所収「君はこの国を好きか」p.162)

 このような三国(文化)間関係をもとにした考察の有無や、「(在日)韓国・朝鮮人」であることをどう捉えるか、すなわち、一方が「韓国人“であること”とは、どういうことか?」を考えるのに対し、もう一方が「韓国人」や「朝鮮人」、「日本人」といった“既存の”自己認識(アイデンティティ)自体を考えている(それから距離を置こうとしている)、『GO』と『君はこの国が好きか』を比べると、そのような違いがあることに気付きます。

まとめ
 均質な属性の人々で構成された地域(例えば日本国)に住んでいると「国籍」や「民族」ということを深く考えることはめったにないでしょう。それは例えば「日本人」という自己意識(アイデンティティ)を疑った事のない人のみならず、それ以外の多くの立場にいる人に共通するものだと思います。そして、たとえ、そのことを考えようとしても、ありとあらゆる方向から「ないもの」にしようとする圧力が加わることだと思います。

 しかし、その「ないもの」とされる問題について『GO』も『君はこの国を好きか』に収められた二作品も共に考え、とりわけ後著は、“韓国育ちの「韓国人」”とアメリカで出会う場面を描くことで、『GO』とは異なる視点で考える材料を提供しています。

   「でも実際さ、たとえばトシにしてみてもアメリカとかどっか行ってさ、いちばん
  困るのはWhere are you from?って訊かれたときだぜ」
  「どうして。アイム・フロム・ジャパン。じゃいけないの?」
  「や、そこでアイム・フロム・ジャパンって答えたら、他の奴らは『あー、コイツは
  日本人なんだな』って認識をするわけよ」
  「あ、そうか・・・・・・。じゃあ、アイム・フロム・ジャパン・バット・アイアム・ア・コリ
  アン。これでいいわけ?」
  「うん、まあ俺もそういうふうに言ってたけどね」
                                (『君はこの国を好きか』所収「ほんとうの夏」p.75)

 いまの世界、この流動性が激しい時代には、“Where are you from?”(「ナニ人?」「どこ(の国)から来たん?」)という質問に“but・・・(けど/しかし・・・)”という説明を加えることが当たり前な人が増える傾向にあるでしょう。『GO』や『君はこの国を好きか』は、そのような状況下を生きる人の気持ちを知ることができる作品だと思います。

2008,02,15
執筆者:Nikolaus 29歳
 『小学生日記 華恵 角川書店 2005年(〔単行本〕プレビジョン 2003年 出版)
いまの小学生と時間を共有させてくれ、
同時に読む人を小学生時代に連れ戻してくれる作品


 『小学生日記』は、いまの都心部に住む小学生の日常を垣間見られる要素があるため、様々な立場の人に評価される著作だと思います。しかし、この著作は「ハーフ」と“呼ばれる”人の著作というフィルター(色眼鏡)を通しても読むことができます。

著者について
 著者の華恵(2006年以前のペンネームはhanae*)は、1991年アメリカで生まれ、6歳までニューヨークで暮らした後、母親と共に日本で暮らし始めています。彼女の父はドイツ系アメリカ人で、彼女は母
と共に日本に戻るまでニューヨークで兄らと共に暮らしていたといいます。

『小学生日記』出版に至る経緯
 『小学生日記』は、読売新聞社主催「全国小・中学校作文コンクール」の第50回(2000年)、第51回(2001年)の東京審査で読売新聞社賞を受賞した二つの作文と、第52回(2002年)で文部科学大臣賞を受賞した作文を、華恵(hanae*)が所属していた事務所のスタッフが『spoon.』の編集者に見せたことで出版に至ったというもので、彼女はそのことをTIME BOOK TOWN に掲載されている重松清との対談で述べています。

『小学生日記』とは、どういう本か
 この著書に収められている話は著者が実際に経験したことを書いたものですが、一人一人の人物描写がしっかりしているため、まるで小学生を主人公にした小説(フィクション)のような印象を受けます。

 自分の思い出をただ書くのではなく、自分自身と適当な距離をとりながら、その思い出の中にいる著者を取り巻く人々を描き出すという表現方法が、この作品を小説のように感じさせるのでしょう。

 この『小学生日記』について、文庫版の解説で重松清は「小学生にしか書けないけれど、小学生には書けない―というジレンマをみごとに超えた、まなざしと言葉がひとつになった世界が、ここにある」(p.195)と評しています。

 大人の作家が創作した小学生の世界観ではない世界の表現、小学生による小学生時代の小説的な描写が、重松清にそのように評させたのでしょう。

国と国、文化と文化(言語と言語)間の往復経験
 『小学生日記』のなかに収められている作文群のなかで、「モトイと日本語」(第51回「全国小・中学校作文コンクール」東京審査 入賞作文)(p.17〜35)と「ミュージック・オブ・ハート」(p.149〜155)を「ハーフ」と“呼ばれる”人というフィルターで(なかでも、ここでは国と国の間を往復移動する人の経験談として)見たとき、そこで書かれていることは多くのことを読者に教えてくれます。

 まず、「モトイと日本語」は、12年間アメリカで過ごした著者の兄のモトイ(基)が日本に渡り、日本で中学に入学するにあたって日本語を“猛特訓”するという出来事について書かれたものです。

 『小学生日記』を読む限り、著者の兄のモトイ(基)は母と妹(華恵)が日本に移った後、アメリカの学校の長期休暇時に母親や妹、親戚と過ごすため日本をしばしば訪れており、母親から話しかけられていたためか、その時点まで日本語が全くわからなかったというわけではないようです。もっとも、おそらくそれは日本語を“聞く”ことで、話すこと、読むこと、書くことではなかったと思います。

 「モトイと日本語」は、その兄のモトイ(基)が日本語を上手く話せ、読み・書きが出来るようになるまでの道のり、「できない」ことが多くなった自分の状況と向き合って「できる」ことが増えていく、そんな自らの「かのうせい」(可能性)を兄が発見するまでの過程を、妹である著者の目線でたどった作文となっています。

 その経験を「ハーフ」と“呼ばれる”人というフィルター、ここでは「文化と文化(国と国)の間」を往復している人というフィルターで見たとき、兄の担任が英語教師になったことについての母親との会話、そしてそれを聞いていた著者の考えを述べた部分は興味深いです。

   母は、
   「英語の先生で、よかったね。わからないことがあっても、いろいろ聞ける
   ものね」
   と言って、よろこんでいるが、モトイは、
   「ぼくは日本語で話すよ」
   と言う。
     (中略)
    それを聞いて、わたしもそうだったと思い出した。わたしも日本にきて
   から、母に、
   「これからは日本語で話すから、お母さんも日本語だけにして」
   と頼んだことがあった。
     (中略)
    わたしは、日本語になると赤ちゃんのようにちょっとしか話せなくて、言い
   たいことがわかってもらえないこともあったから、本当は英語の方が母とは
   話しやすかったのだ。でも、これからはずっと日本に住むのだから、とにかく
   早く日本語が上手に話せるようになりたかった。「少しずつ」ではなく、全部
   日本語にきりかえてしまった方がいいと思った。 (p.24)〔下線筆者〕

 これは“言語間を往復移動する子供”のひとつの心理を現していると思います。日本で暮らし始めた時点で著者の華恵(hanae*)には「バイリンガル」であること、「バイリンガル」になることを模索しようという意識はなく、周囲に“順応”することが第一目標だったということが読取れます。「バイリンガル」になることよりも、生活に必要な言語をいち早く身につけたい、それが言語間を往復移動する者のもっとも基本的な心情なのだと思います。

 次に、文化と文化(国と国)間を往復移動する心情については、「ミュージック・オブ・ハート」(マンハッタンを舞台にした映画の題名)のなかでニューヨークの生活を振り返っている部分にそれが表現されています。

   わたしが日本に帰ってきて最初に「しちゃいけない」と思ったのは、「showy
   になること(人前で自慢するみたいなこと)」だった。べつに悪いことだと思っ
   てなかったけど、何となく日本ではダメなんだな、ってすぐわかった。ヘンな
   反応されるから。
    モトイが日本に帰ってきた時に、わたしに言った。
   「ハナエ、日本人っぽくなって、へん。ハナエじゃないみたいだよ」
   って。だからわたしは言ったんだ。
   「日本人っぽくなるようにしてるんだもん。日本語もしゃべれるようになるに
   は、日本人みたいにしないと、って思ったんだもん」
   って。 (p.152)〔下線筆者〕

 この後、著者は兄のモトイにそのことを“That's stupid.”と言われたことで自分の考えに違和感を覚え、それを次のように表現しています。

   今考えると、確かにわたしが言ってたこと、おかしい。だって、アメリカでは、
   英語を話せるようになるために、アメリカ人になれるために「アメリカ人っぽく
   なる」なんてないもの。第一、みんなちがうから。「アメリカ人」って誰?どの
   人?って感じ。(p.152)〔下線筆者〕

 そして、このアメリカでの経験を語った後に著者は映画『ペイ・フォワード』に映し出されたアメリカを観て気付いたことも次のように書いています。

    同じアメリカなのに、ピンとこなかった。ニューヨークと全然違うし、白人ば
   っかり出てきて「アメリカってこんなんだった?」って思った。(p.154)〔下線筆者〕

 ここまで読むと、著者は初め自らが生まれ育ったニューヨークを「アメリカの典型」として見ていたが、後に画面に映し出された別のアメリカの姿を見て、「アメリカとは何か?」「アメリカ人とは誰か?」という疑問を持つようになったということも読取れます。

 この著者の視点、日本とアメリカ、ニューヨークと東京、東京と福島県(母の実家)の間を往復移動し、映像を通してニューヨークと他の都市の間を移動(比較)したことで得た視点は、読者に「日本人であること、とは?」「アメリカ人であること、とは?」、そして「自分が自分であること、とは?」ということについて考える材料を提供してくれていると思います。

 そのように、華恵の作文のなかには、国と国の間を、文化と文化(言語と言語)の間を行き来する子供の心情を表現している面があり、そこに私は注目しました。

 それは私自身が短期間ではあっても日本とドイツ、日本語とドイツ語の環境を往復移動し、日本国内でドイツ人の母の教育と、父や日本社会が求める「日本的なもの」との間で戸惑いながらも育って来たという経験があるからです。

 そういう自分の経験から、『小学生日記』は言語間の、文化(国)の間を往復移動する子供や、その周りの人にとって良い情報を与えてくれると思い、ここで紹介しようと思いました。

『小学生日記』のDie Kreuzungsstelle的位置付けの問題点
 このホームページ(Die Kreuzungsstelle)には、主に「ハーフ」と“呼ばれる”という共通点をもつ人々の「声」が掲載されています。それらは普段は「ハーフ」と“呼ばれる”自分について考えない人が、何かのきっかけで「ハーフ」と“呼ばれる”自分の経験として書いたものです。

 しかし、華恵(hanae*)の作文は「ハーフ」と“呼ばれる”自分というフィルターではなく、自分(華恵)というフィルターで書かれたものでしかありません。

 その著作(著者)を「ハーフ」と“呼ばれる”というフィルターを通して見るというのは、『アメラジアンの子供たち』の著者(S・マーフィ重松)「私は主流となる日本人が、私のような人々を箱に押し込めて孤立させるのを認めたくない」(p.231)と述べ、『GO』の著者(金城一紀)「俺を狭いところに押し込めるのはやめてくれ。俺は俺なんだ。いや、俺は俺であることも嫌なんだよ。俺は俺であることからも解放されたいんだ」(p.233)と主人公に言わせているように、その人(の声)を「ハーフ」と“呼ばれる”という“箱”、“狭いところ”に押し込めるものです。

 そのように考えたとき、著者が書いた文章を「ハーフ」と“呼ばれる”人が書いた文章というフィルター(色眼鏡)を通して読むことは、その文章を、著者である華恵を“箱”に、“狭いところ”に押し込めることになってしまいます。

 しかし、それでもあえて彼女(の作品)を「ハーフ」と“呼ばれる”人(の著作)として紹介するのは、その内容が素晴らしく、また、そのようなフィルターを通して見たときに教えられるものが色々あるからです。

2008,03,01
執筆者:Nikolaus 29歳
 『本を読むわたし My Book Report 華恵 筑摩書房 2006年

本を読むわたし
―My Book Report

   華恵
読んだ人に、本を読む楽しみを気付かせてくれる一冊

『本を読むわたし』とは?
 著者が幼稚園時代に初めて買って貰った『I Like Me!』(Nancy Carlson)という絵本から、中学生になって読んだ『非色』(有吉佐和子)までの15冊を軸にして思い出をつづったエッセイ集、それが本著『本を読むわたし』です。 『小学生日記』と同じように、物語風に書かれた部分もありますが、この本はエッセイ集的な要素が強くなっています。

『本を読むわたし』、華恵にとっての本
 著者である華恵の本を読むことについては、「Webちくま」の『こんにちは、華恵です』(2006年6月23日〜)に掲載されているエッセイ集の第12回「ひとりの時間」(同名のエッセイ集『ひとりの時間』に掲載)の一文に如実に現れています。

   本を読むという行為は、最初から「ひとり」です。
   でも、本の中に入っていくと、そこでは「ひとり」じゃなくなるんですね。「こうい
  う人に会いたかった」と思える出会いもあるし、おもしろいモノに出会うこともあ
  る。だから、現実の中でいやなことがあったり、友達とうまくいかないことがあっ
  てもそんなに落ちこむことはない。「みんな」がいなくても、もし、たまたま「ひとり
  」だとしても、必ず本の中でどこかに繋がっている。
                  ひとりの時間―My Fifteen Report』 筑摩書房 2007 p.106 )

 本を読むことの大切さについて、「活字離れは読解力の低下、学力の低下につながる」といった脅迫めいた「読書のすすめ」はよく聞くと思いますが、こういった前向きな意見はあまり聞くことはないと思います。

 「本を読まないとバカになる!」、そういう教育を受けた私は、子供の頃から強制的に本を読まされたため、本を読むのは大嫌いでした。 しかし、この一文は、そのような本嫌いの私にも「こういう本の楽しみ方もあったのかぁ」と気付かせてくれる一文、肩ヒジ張らずに読む、ノルマを達成するために読むというのではなく、楽しむために読む、そのような本の楽しみがあるということを教えてくれているように思いました。

『本を読むわたし』の構成
 著者が初めて買って貰った『I Like Me!』から『非色』まで、小学校入学前から高校入学前までに出会った数々の本を軸にして、著者の思い出を綴る一冊です。それは、こんな一文から始まります。

   国際子ども図書館の中で、本を抱えて笑っているわたしがいる。
    (中略)
   たくさんの本に囲まれて、自然に嬉しさが表情に出ている。さっぱり・はっき
   り・すっきりとした顔。「これがわたしだ」と思える。(p.8)

 これは本が好きな著者の、その宣言のような一文です。本著を読むと、幼少の頃から著者は本に囲まれた生活を送って来たのだということがわかります。図書館が遊び場、そんな印象を受けることから私はこの本を読んで、著者である華恵は「本の妖精」なのかな、などと思いました。『I Like Me!』は、そんな著者の原点となる一冊、自分の捉え方の原点となった一冊。

 ちなみに、この絵本のメッセージは、SMAPの『世界に一つだけの花』(作詞・作曲:槇原 敬之)と同様に「オンリーワン」の素晴らしさ。著者は、幼少の頃に通ったキリスト教系の学校で次のように言われていたと書いています。
   
   わたしたちはひとりひとりが「スペシャル」で、いい子じゃない時でも、悪い事
  をしても、だいじょうぶ。神様はいつもわたしたちを愛してくれる。失敗しても気
  にしない。またトライすればいい。いつか、ちゃんとできるようになる。(p.12)

 その教えを別の形で表現しているのが『I Like Me!』という絵本。そして、それが著者の原点のようです。このように『本を読むわたし』は、幼少時代からの思い出を、本を介して振り返るという構成になっています。

『本を読むわたし』のDie Kreuzungsstelle的な位置付け
  ここでも華恵の著作をあえて「ハーフ」と“呼ばれる”人というフィルターで読むことにします。そうやって読むと、『小学生日記』で着目したことが、より詳細に語られていることを指摘できます。

 例えば、『I Like Me!』(p.8〜)では一人一人「スペシャル」な自分が良いとされたアメリカでの教育から、日本の教育に移ったことで著者に生じた心境の変化が書かれています。

   日本に住むようになってからは、「元気で自信があるわたし」が、単に「うるさ
  くて生意気なわたし」だということに気づいて、「自信」はバラバラと崩れはじめ
  た。そして、「みんなと一緒」とか「みんなと同じ」がいい、と思い始めた。周りか
  ら浮いてるのは、不安だ。「わたし、わたし」と自分のことばかり言っているの
  は、聞いてもウザイ。そう思うようになった。(p.13)

 「スペシャル」から「みんなと同じ」へ、二つの教育理念の間を移動し、一方では受け入れられた自分を殺して別の自分になる、著者が経験したことはそういうことなのでしょう。これは欧米圏からの「帰国子女」とくくられる人の話としても聞く話だと思います(著者は「帰国子女」としても位置づけることができます)。

 次に、『Yo!Yes?』を取り上げた章(p.54〜)では、自らが属する「枠組み(カテゴリー)」は何かについての兄との会話で著者は次のように自らを定義しています。

   わたしはミックス。そして、ジャパニーズ・アンド・アメリカン。なんか、いい。
  何度も繰り返して言ってみた。(p.60)

 アメリカ社会においては、日本でいう「ハーフ」は「ミックス(mixed-race)」や「マルチレイシャル(multiracial)」と捉えられます。また、この前後の会話であるように「アメリカ人」を強調する日系アメリカ人(Japanese-American)というハイフン(−)でつなげる自己認識ではなく、日本人でもありアメリカ人でもある「ジャパニーズ・アンド・アメリカン(Japanese and American)」というと捉え方もあります。このように自分について考えるのは、ある一人の「ハーフ」と“呼ばれる”人の自己認識の過程を如実に現しているものだと思いました。

 そして、この自己認識についての考えは『非色』の思い出を書いた章(p.200〜)でさらに詳細に書かれています。

   アメリカの学校では「ミックス」と言われていて、日本に来てからは「ハーフ」
  ということばを聞いた。「アメリカ人」とも言われたけど、その度にお兄ちゃんは
  「ちがうよ。ミックスだよ」と言った。この間、友達と電車に乗っていた時、すごく
  背の高い金髪の男の人がいたので、わたしが「ガイジンだ」というと、友達から
  「おまえもだろ」と言われた。
   わたしは―何?  (p.208)

 「ミックス」「ハーフ」「ガイジン」「アメリカ人」、そして「日本人」や「ジャパニーズ・アンド・アメリカン」など、一人の人間に多くの“名前(呼称)”がつけられる。それぞれの人が、思い思いの“箱”の中に著者を閉じ込め、また著者自身もその中のどれかを選ぼうとしている、この文章にはそのような経緯が現されています。
 
 では、“名前(呼称)”とは何か?そこで、金城一紀が『GO』で引用していた『ロミオとジュリエット』の台詞(ここでは福田恒在 訳)を引用してみます。

   名前に何があると言うの?
   薔薇の花を
   別の名前で呼んでみても甘い香りは失せはしない

 著者に与えられた数々の“呼称(名前)”、そのどの呼称を用いても著者という人は変わることはないでしょう。これらの呼称は単に著者を視る側の捉え方(認識方法)、著者をどのように“解釈する”かの指標でしかありません。

 例えば、このウェブサイトで著者を「ハーフ」と“呼ばれる”人というフィルター(色眼鏡)、ひとつの“呼称”をあてはめて見ているように、人はそれぞれ自分にとって都合のいい捉え方でしか他者を捉えられません。そのような行為を、『GO』の主人公ならこう言うでしょう、「俺を狭いところに押し込めるのはやめてくれ」(『GO』講談社p.233)と。

 また、著者は『非色』を読んで考えたことを、さらに次のように続けます。

   アメリカの学校にいた時は、肌の色も髪も、目の色も、みんなちがっていて
  当たり前だった。それが「スペシャル」で「ユニーク」だ、と先生から言われて
  いた。だから、わたしが日本に帰って来て、周りにジロジロ見られても、最後は
  「別にいいや、わたしはスペシャルだから」と思っていた。わたしの原点は
  「I Like Me!」だったから。
   ちがっていて当たり前、それがいいんだ。そう思っていたけれど、わたしが知
  らなかったことがある。それは、肌の色がちがうことで「低く」見られること。
  排除されること。
   「ちがっている」のは「スペシャル」なこと、なんて、きれいごとなのかもしれな
  い。人が本当に他の人を理解するなんて・・・・・・・できるのかな。(p.209)

 『本を読むわたし』を読むと、著者はいわゆる「イジメ」を受ける経験もし、また消極的なものではありますが、集団でイジメる経験をした側の人だったと視ることも出来ます。

 例えば、『ぼっこ』(p.100〜)では「出しゃばった」ことによって「ひとり」になった経験が書かれており、『はせがわくんきらいや』(p.84〜)では一人の女の子、クラスの女子のほとんどが好ましく思わない一人の女の子と自分も遊ばなかったこと、そのときの自分の態度に後悔する話が書かれています。

 また、本著を読む限り、著者は周囲との人間関係の築き方で「ひとり」になったのであって、外見的な“違い”がその根本原因では無かったように思えます。「ハーフだからイジメられた」、そんな捉え方を著者はしません。それは、なぜ自分が排除されたのか、その理由に気付いていたからなのでしょう。

 そして、『非色』を読み、そこで書かれていることと自らの経験と照らし合わせた著者は次のように続けます。

   わたしは、日本に来て、ことばがわからなくて、自分の思っていることが言え
  なくて、いやだなあと思ったことはあった。自分だけが茶色の髪で目立つのが
  いやで、黒くしたい、とお母さんに言ったことがあった。でも、それは周りよりも
  低く見られたからじゃない。肌の色や髪の色が原因で排除されたということは
  ない。差別されて、それでも「I Like Me!」なんて思えるかどうか、それでも「
  スペシャル」だと言えるかどうか・・・・・・わからない。(p.211)

 この引用の最後の言葉、「わからない」、これは「人が本当に他の人を理解するなんて・・・・・・・できるのかな」という先の一文への答えになっています。私はこの真摯な態度こそ、著者である華恵の魅力だと思います。排除する側・される側になった経験を包み隠さず書き、また、他の人のことを簡単に“わかる”とは言わない態度、そういうバランス感覚のある著者に私は感銘を抱きました。

 ここで、『本を読むわたし』を読んで私自身が再度自らの経験を振り返って考えたことを書くことにします。

 私自身いわゆる著者と同じく「ハーフ」とくくられ、ドイツとつながっていることを「うらやましい」と言われることがあったからか、小学生時代以降は自分の出自(ルーツ)を「恥ずかしい」と思ったことはないと記憶しています。小学生時代は「変わっている」ことを恥ずかしいとは感じましたが、それで日常的に暴力を受けたりしたことはなく、著者のように「別にいいや」と思えばやり過ごせる程度の経験でした。

 しかし、常に「低く」見られたらどうなのでしょう。おそらくその状態にある人、そう感じる人のことを「わかる」ことは私にも出来ません。「わかろう」とする努力は出来ますが、完全に「わかる」ことは出来ないと思います。ここで投げかけられている問い、「人が本当に他の人を理解するなんて・・・・・・・できるのかな」(p.209)は、とても難しい問いだと思います。

 では、「わかる」にはどうするか、私は「本を読むこと」がそのひとつの方法だと思います。人が一生に出会える人の数は限られており、出会ったからといって全ての人の心の内まで深く入り込むことは出来ません。しかし、本はそれを少しだけ可能にしてくれます。著者の華恵が数々の本を通して行なっていることは、まさしくそのような作業なのだと思います。『本を読むわたし』は、そのような本を読むことの大切さ、本を通して他人の言葉を聴くことの大切さを読者に気づかせてくれる一冊だと思います。

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