自分はナニ人?

2002,09,19
投稿者:Nikolaus 24歳

「自分はナニ人?」

 「自分はナニ人?」この疑問は両親の出身国が違う人、国籍が生まれ育った国と違う人が抱く共通の疑問だと思います。

 私は日本国籍の父とドイツ国籍の母の間に生まれました。国籍は日本国籍を持っています。容姿はどちらかというと母寄りですので、私が「日本人です」と自己紹介すると多くの人に驚かれます。以前、一度だけどんな反応が返って来るかを試すために「ドイツ人です」と自己紹介したことがあります。そうしたら相手はそれを信じてしまいました。私の容姿はそれほど「日本」的ではないのです。

 国籍が「日本」で容姿が「ドイツ」寄りの私はいったいナニ人なのでしょう?「日本人」なのか「ドイツ人」なのか・・・?その答えは「日本人」であり「ドイツ人」であると言えますし、そのどちらでもないとも言えます。確実に言えるのは今の「日本人」や「ドイツ人」という「枠組み」では私を定義することが出来ないということです。

 もし「あなたはナニ人ですか?」と聞かれたら、私は「地球人」と答えるかもしれません。けれど実際、「あなたはナニ人ですか?」と聞かれて「地球人です」と答えたら冗談を言っているのかと思われてしまいます。だから今は「日本人です」と答えています。

 日本は「単一民族国家」という考え方が今でも残っているようです。これは今も昔も日本には「日本民族」だけしか住んでいないという考え方です。だけど、昔から日本諸島にはアイヌ(北海道の原住民)もいますしウチナーチュ(沖縄の人)もいます。ここ100年の間にも日本諸島以外を出身とする人(例えば在日コリアンや他の「在日他国人」の方たち)が隣人として日本に住むようになりました。それなのに日本には「日本民族」しか住んでいないと言う人がいます。さらに最近では、国籍は「日本」だけど容姿は今まで考えられていた「日本人」と違う人も増えつつあります。例えば、日本国籍を取得したサッカーのサントス選手のような人たちです。

 以前から疑問に思うのですが、そもそも民族や国家というのは何なのでしょう?ある民族を定義するとき、何を基準に定義するのでしょうか?ある国の国民を定義するとき、何を基準に定義するのでしょうか?


2002,11,03
投稿者:Nikolaus 24歳
「地球市民として」

 高校2年生の世界史の授業で私は「コスモポリタン」という言葉を初めて知りました。古代ギリシャで都市(ポリス)が国家と同じ意味を持っていた時代から、都市(ポリス)がそれまでの意味を失う時代になり、人々は国家(ポリス)に囚われずに行動するようになった。そのように、国家(ポリス)に囚われないという考え方を「世界市民主義(コスモポリタニズム)」と呼び、国家(ポリス)にとらわれずに行動する人々を「コスモポリタン(世界市民)」と呼ぶのだと教わりました。

 その当時、世界各地で繰り返される民族紛争のニュースを聞いて「人はどうして民族の違いで争うことが出来るのか」と考え、「国」や「民族」という枠組みを疑うようになりました。そしてその頃に知った「コスモポリタン」という考え方は私にはとても素晴しいものに思え、地球上の人全てがこの考え方を知り「国」や「民族」という境界に囚われなくなったら、きっと戦争はなくなるだろうと考えていました。

 この考え方を知ってから私は「地球市民(コスモポリタン)」として「国」や「民族」に囚われないで生きていこうと思いました。また、一般的に言われる「日本人」や「ドイツ人」ではない自分を定義するには、この「コスモポリタン」という言葉がピッタリだと考えました。
 このように書くと、ある特定の人だけが「コスモポリタン」なのだと誤解されるかもしれませんが、そうではありません。私は地球上に住む人なら誰でも「コスモポリタン」になれると考えています。「国」や「民族」という「心の垣根」を低く出来る人は、誰もが「コスモポリタン」だと思います。

 もちろん、私にも人の好みはあります。好きな人もいれば嫌いな人もいます。しかし、好きになるにしても、嫌いになるにしてもその人の人間性を大切にしたいと思っています。相手が違う地域の出身だとか、違う言葉を話すからというだけで、その人を判断しないようにしています。

 私は「地球市民(コスモポリタン)」でもあり「日本人」でもあります。高校生の頃と違って、今の私にとって「地球市民(コスモポリタン)」という言葉は、「日本人」のような呼称の代わりに使うものではなく「自分と違う考えの人も受け入れ、共にこの地球上で生きていこう」という呼びかけの言葉でしかありません。

 「地球市民(コスモポリタン)」として生きるということは、「国」や「民族」という「心の垣根」を取り払って人と接することだと考えています。

2002,12,08
投稿者:Nikolaus 24歳
「出口のない迷路」

 「自分はナニ人か?」という「問い」は、「自分とは何者か?」を考えることです。この「自分はナニ人か?」という「問い」は両親の国籍や文化が全く違う人、生まれた国の国籍を持たない人特有の「思春期の悩み」だと思います。この思春期特有の「問い」の答えをみつけるのはとても難しいものです。この「問い」には決まった答えはないですし、決まった「解法の手引き」もない。答えは自分でみつけるしかないのです。

 この「思春期の悩み」は、「国」や「民族」について考えることから始まると思います。けれども、「民族」というものは決して定義することが出来ないものです。「民族」というものは“ウソ”で固められた幻想です。「民族」を定義することは「雲の形は一つだけだ!」と言うようなものです。悩むのは始めから答えのない「問い」に無理やり答えを作ろうとするからです。幻想の中に自分の居場所を作ろうとするから悩むのです。結局、「自分はナニ人か?」という「問い」に対する答えは見つからないでしょう。なぜなら「〇〇人」というもの自体、人が作り出した幻想なのですから。

 「あなたの信じているものは間違っている」と言っても多くの場合は喧嘩になります。喧嘩をしたくない場合は、人の考え方について何も言わないことです。しかし、自分の身の安全が確保できない場合は「間違っている」と言う必要があると思います。「国民」と「民族」が結びつくと考える国では、「間違っている」という必要があるのではないでしょうか?そうしなければ、「国民=民族」と考えない人にとっては住みにくい場所になるだけですから。

 「自分はナニ人か?」という「問い」は、まるで出口のない「迷路」のようなものです。そこに一度迷い込んでしまったら、なかなか出ることはできません。抜け出そうと努力すればするほど、ますます迷い込んでしまいます。

 どうすればその迷路から抜け出せるのか?その答えは、努力して抜け出そうとしないことです。抜け出そうとするから余計に迷い込む。この迷路から抜け出すには、努力することをやめること。「いつか出られるだろう」という余裕を持つことが必要なのです。

 私はまだ「出口」を見つけていませんが、今はそれほどみつけたいは思っていません。出口は見つかるかも知れませんし、見つからないかもしれません。迷路の出口はいつかゆっくり探そうと思っています。

2003,07,20
投稿者:Nikolaus 24歳
「片想い」

 これから書くことは恋の話ではなく、「日本」に対する私の想いです。

 「日本なんて嫌いだ!」と私は思ったことがあります。「ハーフ」や「ガイジン」と言われ、ヨソモノ扱いを受けたことがその理由です。そう思った当時の私は、自分が所属する場所を求めていました。生まれ育った地域、移り住んだ地域の多くの人からは仲間と見てもらえず、とても寂しい思いをしました。

 私は仲間になることを望み続けました。けれどヨソモノ扱いを受ける。私はヨソモノ扱いを受けたことで、その地域に住む人が嫌いになりました。当時の私にはその狭い世界が全てでしたので、その地域が日本であり、そこに住む人が日本の人でした。

       「憎しみは愛情の裏返し。愛情があるからこそ憎むのだ。」

 これは私の親友が教えてくれたことです。親友に言われたことで私は気付きました。「自分は日本が好き、生まれた街、育った地域の人が好き、だから日本を嫌いになったのだ」と。

 また私は自分が「日本人」、顔の形、皮膚の色、髪の色、国籍での「日本人」ではなく、日本がもつ、育った地域がもつ文化が体に染み付いたという意味での「日本人」だということにも気付きました。

 そして「日本を嫌うということは、それは自分の中にある『日本的』な部分を嫌うことであり、自分自身をも嫌うことだ」と思うようになりました。

 私は自分の生まれ育った場所、文化が好きです。好きだからこそ、そこに住む人の仲間になりたいと思うのです。そして、好きだからこそ、この文化、地域のもつ閉鎖性を指摘するのです。

 私は日本が国際社会で認められるような国になって欲しいと思っています。多くの国の人から愛される国になって欲しいのです。また、日本という地域を訪れる人に、日本に住む多くの人に「自分のいる場所はいいところだ」と思って欲しいのです。

 私はこの国で生まれ、この国で人生の最後を迎えるつもりです。なぜなら、私は自分の生まれた街、育った街を、そして出会った人たちが好きだからです。できるなら、その人たちとこれからも共に生きたいと思っています。


2003.07.28(執筆2000,09,03)
投稿者:Courtney 16歳(執筆時)
「日本人になりたかった?!」

 日本で人生の3/4以上を過ごしている私にとって、小さい頃、自分の中ではアメリカ人より日本人だと思って暮らしてる方が、はるかに大きかったです。まわりで遊ぶ友達も日本人、テレビ番組も日本語でした。ある日、日本の保育園でお絵かきの時間があって、 題は“自分の絵”だったのですが、今当時書いた絵を見ると面白いことにそこに書いてあるのは黒髪、黒い瞳の女の子なのです。でも服は私の着てたピンクの服なのです。

 当時、自分は日本人のまわりの友達に憧れてた部分があったのです。髪の毛が茶色というのも嫌で いつもお母さんに「なんで私は髪の毛は茶色いの?」とか聞いていました。するとお母さんは「ひじきとかワカメをいっぱい食べると髪の毛は黒くなるよ」と教えてくれ、それ以降、私はいーっつもひじきばっかり食べていました。そうすればいつか日本人になれる!と思っていたのです。

 小さい頃は家で日本人の友達のマネをしてみたりしたこともあります。たぶんまだ5歳くらいだと思うけど、背伸びしながらカガミに向かって、クリクリした目を横に ビヨ〜ン と引っ張ってみたりするのです。そうすると ちょっと日本人っぽく見えるという・・・。今考えるとよくわからない行動なのですが。でも当時はそれに憧れを抱いていたのです。子供の夢って本当に不思議。





2003,07,31
投稿者:William 19歳
「米系日本人」

仮に、「純粋な日本人」がこの世にいるとしよう。

先祖の先祖、そのまた先祖はずっと日本列島で生活を営んできた。
日本に生まれ、「日本文化圏」で育ち、日本語を話す。
そして、日本に戸籍があり、日本のパスポートを持っている。

こんな人が本当にいるのかどうか、はっきりと、肯定的に答えられる人はあまりいないだろう。なぜなら、それはただの概念だからだ。プラトンのイデアの具体例としては、それほど悪くない。

もし、上の三つの条件を満たすだけで、自分のことを「純粋な日本人」として紹介していいのなら、オレだって「純粋な日本人」だ。母の実家は片知(美濃市)で江戸時代からずっと和紙を作りつづけてた(注:いまはもう和紙と関わってる人はいない)。室町時代には猿楽をやっていたとか、高賀山(こうかさん)・瓢ヶ岳(ふくべがだけ)の鬼退治に関わったとか、そういう話も伝わっている。

生まれて初めてしゃべったのは日本語だ。仮面ライダーブラックとウルトラマンタロウ(再放送)はよく見たし、トランスフォーマーで遊んで、ガンプラを組んだりした。最初にやったRPGはドラクエ4で、コミックボンボンもジャンプも読んだ。カードダスを友達と見せあったり交換するのも、日常茶飯事だった。

それから、本籍は23区内で、日本国のパスポートもある。

「オレは純粋な日本人だ」という命題は、上の定義に従えば、「真」になる。でも、そう言ってくれる人はいないし、自分でもそうだとは思えない。オレのことをハーフという人もいれば、ダブルという人もいる。小さいころから自分のことをハーフとして紹介してたから、いまでも「ハーフ」を便利なことばとして使う。でも、「米系日本人」と言ったほうが実態に近いと思うことは多々ある。

たまたま、親父がイギリス・アイルランド・フランス・ドイツ・ポーランド系のアメリカ人で、親父がアメリカ大使館で申請したから、アメリカ国籍をもっているという。その割にはアメリカに住んだことがない。大学に行き始めてから「留学」という形で、一年の三分の二近くをマサチューセッツで過ごしている。

たしかに、見た目は「純粋な日本人」ではないかもしれない。それにしたって、「普通な日本人」にはロシア人とのハーフに見えるひとや、東南アジア人にも見える人など、いくらでもいるから、「日本人に見えない」なんて、大きなお世話だ。

「わたしもハーフになりたかったなー、英語がしゃべれるから」、なんて見当違いなことをいう輩もいる。「親父がアメリカ人だから英語がしゃべれる」のではなく、努力したからしゃべれるようになった、というのを理解できてない。

5歳のときにアメリカのおばあちゃんの家から地元のSouth Yarmouth Elementary School (Kindergarden:幼稚園) に一ヶ月通って、ASIJ (American School in Japan)に入学してからも二年生まではESL(English as a second language)に参加した。その上で、ASIJでの英語の授業に付いていく。そういう努力があったからこそ、英語が「できる」ようになった。レポートや論文なんか未だに書くのがへたくそだ。

「日系アメリカ人」の逆として「米系日本人」を捉えると、オレの使い方はまちがってるのかもしれない。とはいうものの、的を射ているからしょうがない。ベルギー人の母とモロッコ人の父の子供も「ハーフ」とよばれる。だから、彼らと事情が違うオレが「米系日本人」という用語を普及させたって、特に困ることはないはず。


2003,12,01
投稿者:Nikolaus 25歳
「『ナニ人?』という質問」

 会話のきっかけとして使われる「ナニ人ですか?」という質問、近頃この質問自体おかしなものに思えてきました。

 私は国籍では「日本人」、気持ちでは「関西人」「日本人」と少し「ドイツ人」などの色々な「私」を持ち合わせています。外見は「白人」ような顔をしていますが、髪の毛の色に惑わされなければ「日本人」にも見えると思います。このような色々な「自分」を持っている私に「ナニ人ですか?」という質問をしても、私は答えをひとつに限定することはできないでしょう。いままでは答えを限定しようとしていましたが、それがおかしなことだったとようやく気付きました。

 世界には「民族」にこだわる人がいます。私はそれを悪いことだとは言いません。けれど、それがいったい何の役に立つのでしょう?

 100年ちょっと前まで現在「ドイツ」と呼ばれる地域は小さな国が集まった場所でした。お互い似たような言葉を話していましたが、それが「ドイツ語」として確立したのはプロイセンが国を統一してからのことです。それぞれ“違う”「民族」が集まって現在の「ドイツ」が生まれたのです。それまで“同じ”「民族」という考えはなかったようです。

 これはドイツに限ったことではありません。「日本人」も色々な「民族」が統一されて出来た「民族」だと考えられます。江戸時代の日本は「藩」という「国」に分かれていました。きっとその時代の人たちには「日本人」という意識はなく、それぞれの「藩」の人間という意識しかなかったと思います。 「日本人」という意識が生まれたのは、明治に入って国を統一してからのようです。 歴史を見ると「民族」が流動的なもので、決していつも固定しているわけではないことがわかります。いまある「民族」は流動的な人の歴史の一部分でしかありません。

 いままで色々考えた結果、私には「ナニ人ですか?」という質問自体がおかしなものに思えて来ました。どう答えても正確に自分を表現できないのに、その質問の答えを見つけようとしていた。答えを限定できない無意味な質問に答えること自体、無意味なことだったのだと今では思うようになりました。

2003,12,15
投稿者:Nikolaus 25歳
「ハーフが生まれてきた理由」

 一つの集団に所属することを半強制的に求められる環境だと、どちらかを選ばないのは悪いことのように思えてきます。

 私はいわゆる「ハーフ」として、二つの集団の境界線上に立っているのだと思い込んで来ました。どちらに所属することも出来、どちらにも完全に所属することはない存在、良く言えば「自由」な存在が私のような人間だと思い込んで来ました。このような「自由」な存在はなにも私のような人間に限ったことではありません。「在日」と呼ばれる日本で生まれ育った「他国籍」の方、日系移民と呼ばれる中南米出身の人も同じように「自由」な存在なのだと考えます。

 「ハーフはなぜ生まれて来たのか」ということを私は考えたことがあります。一度や二度ではなく、何度も考えました。最初に考えたときは「どうしてこんなに悩まないといけないのだ!」という怒りの気持ちでいっぱいでした。次に考えそうになったときは「悩んでも意味がない」と半ば諦めの気持ちでこの問題から距離を置くことにしました。そして最近、私はこの疑問への一つの答えを考えました。

 近年は人の往来が活発になり、人と人との交わりが盛んになりました。全体に占める割合は少ないけれど日本にも他国出身の人・別の文化出身の人が増え始めました。この他文化出身の人の増加は「同じ」ことで安心を得てきた社会にとっては脅威だと思います。日本が鎖国を解いてから100年とちょっと、航空機が発達して人々が簡単に往来できるようになってからまだ50年もたっていません。それに比べて日本の鎖国は約250年。長崎などで一部の交流はあったものの、多くの人は他文化に慣れていません。約250年も外から閉ざされた社会がそれに比べてわずかな期間で開かれた社会になると考えるのは無理があります。

 「ハーフが生まれて来た理由」、それは歴史の必然です。人類史の必然なのです。ここ数百年、人類は集団を作り、そして仲間集団だけで固まって生活して来ました。それは、国という「枠」を設け、移動の自由を制限して来たからでもあります。けれど、いま再び人類は、その集団を離れて互いに交流をし始めたのです。いまはそういう時期、人類史の中の過渡期なのです。長い人類の歴史を見れば、私のような人間は当たり前の存在で、決して特別な存在ではないのです。

 「どちらかに所属するべき」と考えるのではなく、どちらにも所属する必要はないと考えてはどうでしょうか?時代の転換点だから様々な苦しい出来事にぶつかるかもしれません。けれど、人間が人為的に作った境界を壊すことが出来るのは、人間でしかないのです。「境界」があると信じる人間の心を解きほぐすのも、また人間なのです。

 私のような人間は、この幻想の「境界線」を消す“消しゴム”としての役割があるのだと思います。“消しゴム”であるために身をすり減らす、深い悩みの迷路に入り込むかもしれませんが、それは無駄なことではありません。今はまだ耳を傾ける人は少ないかもしれませんが、いずれ耳を傾ける人が増えると思います。たとえ耳を傾ける人が少なくても、語ることは必要だと思います。そうすることで、身の周りの人が抱く「境界線」が少しずつ消え、いつかはもっと多くの「境界線」を消すことが出来ると思うからです。幻想の「境界線」を消すために、私のような人間はいるのだと思います。

2005,02,24
投稿者:ANNE 37歳
「私は何人?」

 私の父は日本人、母はドイツ人です。

 以前、小学生の子どもたちを前にお話をさせてもらった事があります。テーマは「みんな違っていてもいいんだよ」という内容でした。ドイツで生まれ、小さい頃はドイツで育ち、その後日本に来て以来ずっと日本で暮らし、日本の教育を受け、日本語、しかも完璧な関西弁を話し、漢字の名前を持ち、でも外見は金髪に深緑色の目という西洋系。毎日お味噌汁と白御飯の朝食をし、寝る前のお風呂が至福のひと時。さて、私は何人でしょうと質問を投げかけたところ、実にさまざまな答えが返ってきました。ドイツ人、日本人、ハーフ人、英語人(小さい頃よくこう呼ばれました)、外人、関西人、宇宙人、さらには人参とまで!

 答えは私の中にはありません。かつてはこの答えを求めて右往左往したものでした。周囲と同じである事に執着した時期もあるし、髪を黒く染めようとしたりしました。自分は何者なのかという問いの迷宮にはまり込んで抜け出せず、窒息しそうになったこともありました。

 私は何人なのかという事は今も考える事がありますが、答えを出そうとは、もう思いません。自分が何人であるかという定義で自分を型にはめてしまいたくはないし、ハーフかダブルかミックスかという呼び方、呼ばれ方にもあまり興味はありません。どのような命名をしようとも、その指し示すものの実態はかわらないからです。確かに、それぞれの呼び方の背景にあるイメージや印象には微妙な違いがあって、比較的好みのものとそうでないものはあります(一番嫌なのはガイジン)。いずれにしても私の中の目立つ部分、違う部分だけを抽出して、それをあえて表現されるのは不愉快なものです。

 私は私。私は私でしかないし、それ以上でもそれ以下でもない。ドイツ人の血を引いているという事は私の中の重要な要素ではあるけれども、それが私の全てではない。これが今の私の心境です。

2005,11,11(執筆2003,10,18)
投稿者:Kyoko 20歳
「私を作る成分」

3歳から日本にいます。 もう20歳ですので、時々アメリカにも行っているとはいえ、17年間日本にいる事になります。学校は小学校から高校まで公立校。友人は皆「日本人」です。それでも私は100%ならぬ、60%「日本人」です。

日本に暮らし、日本で教育され、「日本人」の友人を持った私が、なぜ60%にしかならないのか。

よく「がいじーん!!」とからかわれました。小学校の時の話です。 「みんな同じ」がルールの小学生には格好のからかい対象になったわけですが、当時それによって泣いた事は幾度となくあります。

小学校の頃、「外人!」と言ってからかってくるハワイ生まれの男の子に「ハワイ人!」と言い返した事があります (今考えると適切な反論ではなかったと思いますが・・・)。 その日、彼の母親から 「息子がハワイ人と言われてとても傷つけられている」 と電話がかかってきました。どういうことだろうか?母は適当に流してくれましたが、こんな電話を丁寧に頂いて、傷ついたのはこっちである。 私は母が電話を切ったあと泣いてしまいました。

何故私は「外人」と呼ばれなければならないのだろうか?日本語を話すし、納豆だって大好きだ。何が違うのだろうか?皆が知らない言語を理解し、見た目が違うからだろうか?でも天パーは母から貰ったものだ。英語だって理解は出来ても書けないし話せない。「外人」とはなにか? アメリカとはなにか?日本と何が違うのか?なんだろう?なんだろう?

結果的に私は日本に来てからというもの、ほとんど常に日本とアメリカを意識させられて生活した事になります。そして日本語を話さない、文化を変えない父と暮らしてきました。

朝にはオートミールを食べます。好物はコーンミールとカッテージチーズ黄桃入り。昼には給食で秋刀魚を食べます。カレーよりも餡かけ焼きそばのほうが好きでした。父が早く帰る夜にはチキンガンボやラムを食べ、遅い日には刺身を食べました。夏のおぼんとは無縁で、いつから始まるものなのか今でも理解できず、お中元やお歳暮が来たことはありません。クリスマスはお正月よりも豪華でターキーの丸焼きを食べて「クリスマス・キャロル」を見てすごします。 お正月中はしばらくお雑煮を食べてすごしました。

父は英語で話し掛け、母は日本語で話し掛けてくる。 そうして私はMixされてきました。そしてそれは、私がくしゃみをすると父が言う、「グズンタイ」という言葉が ドイツ語だということに去年まで気がつかなかった(英語だと思っていた)くらいに自然な事。

かわってる、珍しい、そう言って日本人とは違うと指摘してアメリカ人を意識させたのは 周りの人たちでした。だから40%ものアメリカ人の私が存在しているのです。

2006,12,15
投稿者:エレナ 30代
「混血に生まれて」

日本で生まれて日本の学校に通っても、完璧な日本人にはなれませんでした。周りが一日本人として認めてくれないし、ハーフって事でどこかで線引されてる。

ハーフと思われてるならまだいい。ほとんどの場合は「外人」って思われる。かと言ってスペイン語は話せないし、第一スペインで生まれてないし、だからスペイン人でもない。日本人でもない。スペイン人でもない。私は一体何なんだろうねってよく思ってた。

普段は母を見ても外国人と意識しないし、もちろん自分についてもハーフと意識してない。外に出て外人とかって言われてビックリして「あっ。そうだった・・・」と外的に認識する。

幼い頃、よく「スペインと日本が戦争したらどうしよう」って考えてた。日本に居ればスペイン人の血が入ってるから敵、スペインに行っても日本の血が入ってるから敵。どっちの国の血を持ってるのに敵。両方の国の血を持っているから敵。

今考えたら変なこと考えてたな〜って思うけど、その当時は結構真剣に悩んだりして。きっと曖昧な自分を天秤にかけて位置を格付けや定義しようとしてたんだと思う。

日本に居た時は、なんとなく自分は身も心も外国人なのかなって思うことがあった。周りにそう思われていたからそんな風に振舞っていたのかもしれないけど、自分は外国人の気質だと思っていた。でもその考えがアメリカに住み始めて大きく変わったしその事をよく気付くようになった。

例えば日本に住んでいる時はテレビでオリンピック見ているときに、別に日本を応援するわけでもなかったけどシドニーオリンピックを見た時は日本人が出るたびに心から応援してた。

スペイン対日本の試合があったら私は100%日本を応援するだろう。ニュースで教科書問題が取り上げられて日の丸が燃やされているのを見たときは心が痛かった。変かもしれないけど、そんなたんびに私は自分が日本人である事を実感している。

幼い時や日本に居た時はあまり理論的に考えたり自問自答して深く考えたりもしなかったけど。昔、不快に思っていたことが最近あれは善意でしてくれたことなのかな・・って気付くようになった。

例えば、私は他人に英語で話されることが不快でたまらなかった。でも今にしてみれば外国人の顔で英語話されるのはしょうがないし、私だって外国人の人に英語で話しかける。きっと不快だったのは自分が外国人顔ということを認めたくなかったからだと思う。でもそれは英語で話してくる人のせいじゃない。

ガイジンっていう言葉にも敏感に反応して不快だったけど、今はどうってことない。慣れもあるけど、そもそもガイジンって言うことに負のイメージを意識して呼んでいるとは思えない。一般的に ガイジン=西洋人の意味合いで使われてると思うしガイジン=外のもの。もしくはよそ者ともとれるけど、そう意識して呼ぶ人は極一部だろう。

※断っておくがここでガイジン=西洋人という表現に差別的な意味はこめていない。というのは一般的に日本ではアフリカ系アメリカ人やアフリカ人を黒人と呼ぶし、朝鮮人・中国人においては在日という表現になる。浅黒いアジア人は東南アジア系と呼ばれ色の白い西洋人が一般的にガイジンと呼ばれる。一般の人はもっと軽い気持ちでガイジンと言う言葉を使ってると思う。

テレビとかでは外国人という言葉を意識して使ってるみたいだけど結局ガイジンも外国人も一緒のような気がする

私の母はスペイン人でも周りにはアメリカ人と言われる・思われることに腹を立てる。テレビでも日本に住んでいる非アメリカ人が同じ事を言っていた。これは外国人に日本人と中国人・韓国人の区別がつかないことと一般の日本人がアメリカ人とフランス人・イタリア人の区別がつかないのと一緒。これもしょうがない。西洋人=アメリカ人と思う人が多いから白人をアメリカ人と呼ぶ。外国人の人は思っているよりも人種的なものにデリケートで自分の国の血に誇りを持ってる人が多い。日本人の人種的感覚とは全く違うように思う。

私が嫌なのは
外国人は体臭がキツイらお前も臭いだろうとか。
外国人は貞操が甘いからお前も簡単に股を開くんだろう?
外国人は性病・エイズ持ち だからお前もそうだな。
お前の両親も外国人相手になんて物好きだな。
なんて言う人がいることだ。極一部で稀なことだけど私にそう言ってくる人が実際にいる。

これはホントに勘弁して欲しい。明らかに悪意がこもってるし、言われた時はすごく悲しい。でも人がいかなる偏見を持ち、何を言おうと、当たり前だが操作できないからどうしようもない。反論するか無視するしかないが、やはり悲しいし落ち込む。

「ハーフってかっこいいよね〜。目立つしうらやましいな。」って友達が言うけど、私は生まれてこのかた目立ってイイ思いをした事なんて一度もない。きっと友達はテレビに出ているハーフの人達を見て影響を受けてそう言ってるんだと思うけど、私はモデルでもなければテレビに出ている華やかな人達とは全く違う地味なハーフで、地味なハーフなんだけど地元では違う意味で目立ってしまいイイ思いどころかイタイ目にしかあっていない。

ハーフで何を得たか。長年の経験で差別される人達の気持ちを理解することができるようになったくらいだ。

とにかく私の外見は外人かもしれないけど心は日本人。ハーフに生まれて悔やんだ事もあったけど、ハーフに生まれてきたのも何かの縁かもしれないし色んな経験もできた。ハーフであることに誇りを持つことまではできないけど私は日本に生まれて幸せだって思うし、日本が大好きだし少なくとも自分が日本人であることに誇りを持っている。

私は幼い時、両親というより外国人である母を恨んでました。学校でガイジンと言われては「あんたのせいで」と暴言吐いたり「生まれてこなきゃよかった」 と酷いことも言ったりした。

お母さん、ごめんなさい

2007,04,30
投稿者:奈々 12歳

「最近知った、自分はハーフ」

今まで、当たり前に日本人だと思って生きてきた私。ごく普通の家族だと思っていた。

でもある日、夜中の2時に起きてしまった私は、のどが渇いてリビングへ向かった。
すると、お母さんとお父さんが何か話している。悪いと思いつつ、盗み聞きしたら、お母さんが韓国人と言うことが分かった。お父さんは日本人らしい。「いつ子供に言うの?」と。

私はびっくりしてたまらなかった。お母さんは日本語ペラペラ、なのに何で?
でも・・・よく考えれば、お母さんは辛いものが好き。キムチがすっごい好きで毎週沢山買い込んで来るし、 外食用に、バッグに“マイ一味唐辛子”を持ち歩いている。それに、毎日毎日辛いものを食べている。ちょっと納得。

私は、今でもびっくりしている。最近知ったばかりだもの。鏡の前に立ってみる。よく見ると、自分は目が茶色。そして髪の毛真っ黒。他の子よりちょっと背が高い。 これは韓国人に関係しているのか?

お母さんはいつ、私達兄弟に明かすのだろう。兄弟には、このことは言わないでおこうと思う。私が言っても、きっと冗談だと流されるだろうから。

私って・・・日本人?韓国人? 「ハーフ」じゃなくって、他に言い方はないのか?国籍はどこなのだろう?今は疑問な事だらけです。


2007,10,25
投稿者:カッサーノ  26歳

「ハーフと自意識」

私はアメリカ人の父と、日本人の母を持つハーフであり、約2年間、アメリカで生活していた経験もあります。

しかし私は断言したいです。私は根っからの日本人です。そして、「二つのアイデンティティー」 を持つというハーフという考えには、真っ向から反対します。

「ハーフ」 である私たちは、小学校、中学校などで好奇の目に晒された記憶から、しばしば、被害者意識を持ちます。しかし、ある時期から(私の場合は高校時代)周囲からうらやましがられることも事実です。多くのハーフが、日本名があるにも関わらず、ミドルネームや外国姓を名乗るのは、そうすることで周囲からうらやましがられたい、という屈折した願望からでしょう。少なくとも注目を引きたい、ぐらいのところでしょう。

そういうハーフの自意識が私は苦手です。多くのハーフは二つのアイデンティティーを持っている、あるいは 「地球市民」 を自認していながら、実のところは、日本の土壌から遊離した 「根無し草」 でしかありません。日本人のことを、「日本人は」 と他人事のように表現しながら、都合の良い時だけ日本人ぶる、ずるさも持ち合わせています。

私はハーフに生まれつきましたが、心は日本人です。他えば、日本文学は自分の問題と感じることができますが、アメリカ文学は、私にとって、他の国の芸術であり他の国の土壌に根付いたものです。アメリカは、日本人として好きな外国と考えています。決して嫌っているわけではないのです。ただ、自分の問題とは思えない。ただそれだけのことです。


2008,5,11
投稿者:Victoria.K 26歳

「私はガイジン?」

私の父は、戦後の混乱の中、アメリカ軍人と、日本人の女性の間に生まれました。祖母の家系は、さかのぼると、ロシア、中国、韓国、アイヌにもつながるそうです。ですから、私はいわゆる“クォーター”と呼ばれるカテゴリに入るのでしょう。

私はそれを、大学に入るか、入らないかのときに知ったので、始めはとても混乱しました(法律上の祖父と、生物学的な祖父が違うため。ようするに、私は戸籍上の祖父と血縁関係がないということをも、同時にしったからです。)

父は、子どものころから、髪も目も茶色、中年になった今でも、身長も、体重も、同世代の平均を軽く超えます。わたし自身は、というと、思春期を過ぎてから、体型や顔立ちが、周りの人たちと変わってゆき、そのことを、さまざまな場所で、指摘されることが多くなりました。

いろいろな人が聞くんです、あなたは、留学生(ガイジン)?それとも、ハーフとか、クォーターなのっ て(彼らに言わせると、私の顔は、“ガイジン顔”だから、ラッキーなんだそうです)。腰の位置や、頭の大きさ(小ささ?)が多くの人と異なるので、見知らぬ人に、じっと見つめられることも、最近ますます多くなりました。

中学校時代は、私の顔が、フィリピン人や、中国人にみえたらしく、それを理由に、いじめられたこともありました (なぜアジア系はさげすみの対象になるのでしょうか)。

それまで、自分がナニ人とか、同級生や、同じ学校に通ういわゆる“ハーフ”や“クォーター”のこどもたちに対して、なんの意識もせずに、一緒に遊んでいたので、自分が、いざ、“ガイジン”といわれる対象になったときは、かなりの衝撃をうけました。一時期深刻な人間不信になったくらいです。

私自身は、もちろん自分自身を日本人だと思っていますが、それ以外のルーツも、本当に大切に思っています。(まだ、はっきりとは、わかりませんが、少しずつ。。。。)だから、あなたは「日本人だよ!」と言い切られてし まうと、混乱するし 、小さな頃から、英語も話して育ってきたので、時々日本語独特の表現方法や、あいまいさに難しさを感じることもあります。

一人で歩いていても、ガイジン、外国籍の友達と歩いていてもガイジン、英語を話していても、ガイジンです。

周りの人と、 価値観や、考え方もぜんぜん違うし、何かあると、陰で、あの子は、どうせガイジンだからといわれることが、おおいので、 “日本人”の中にいるのは、とても窮屈だし、時に苦痛ですらあります。

私がナニ人だとか、どこ系だというのは、私の本質には、まったく関係ないと私自身は、信じていますし、ほかのいわゆる“ハーフ”や“クォーター”の人たちも、それは、共通していえると思います。どんな人間でも、一人ひとり違うんですから。


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