よくある質問

2002,09,19
投稿者: Hyoue 24歳

「よく聞かれること」PDF

 「お父さんかお母さん、どっちが向こうの人?」「英語話せる?」「君ってハーフ?」etc.

 私はこのような質問を小さい頃から何度もされ、そのたびに同じことを繰り返し答えてきました。小さい頃はそれほどイヤではなかったのですが、小学校の高学年頃から中学生・高校生の頃はこの質問をされるのがとってもイヤでした。「どうしてそんなこと答えないといけないのか」とずっと思っていました。この質問をする人は聞く前に考えたことがあるのでしょうか、私が何回同じ質問に答えてきたかということを。

 しかし「彼・彼女らは悪意があって聞いてくるわけではない、ただ興味があるだけなんだ」と気付いてからは普通に答えるようにしています。この質問に対する答えは今では持ちネタの一つ、会話のきっかけになる便利なネタになりました。

 それでも時々思います、「いつまでこの質問に答えないといけないのだろう?いつまで両親のことを初対面の時から聞かれないといけないのだろう?」と。

 私は今まで人に「お父さんはどこの人?お母さんはどこの人?」と聞いたことはありません。それは聞く必要の無いことだからです。大学で会った人には「何県出身?」と聞いたことはありますが、両親のことは聞きませんでした。日本に住んでいたら両親がどこの出身でも同じこと。なぜなら、みんな同じ「日本人」だからです。そういう意識があるから私も初めて会う人に両親の出身地を聞きませんでした。そう考えると、両親のことを聞かれる私は「日本人」と認められていない気がします。

 以前どうやったら「日本人」になれるのか?ということを両親ともが日本国籍の人(=「日本人」?)と話したことがあります。その人は「自分が日本人と思えば日本人になれる!」と言っていました。

 はたしてそうなのでしょうか?自分がいくら「日本人」だと主張しても、外見や国籍が違うことを理由に「日本人」でないとされてしまう、それが今の日本の現実ではないのでしょうか?もしかしたら、それが世界の現実なのかもしれません。

 これからも私は「お母さんかお父さん、どっちが向こうの人?」というような質問に答え続け、そしてそのたびに「いつまで同じ質問に答え続けないとだめなんだ」と思うことでしょう。


2002,12,15
投稿者: Hyoue 24歳
「『ハーフ』はイジメられるのか?」PDF

 「イジメられたことある?」と最近よく聞かれるようになりました。「どうして?」とその理由を尋ねると「テレビで言ってるから・・・」と答えが返って来ます。

 私も「ハーフはイジメられる」という印象を受ける番組を見たことがあります。そのような番組に出ていたのは「ハーフ」であることを悩んでいる人が大半でした。悩んでいる人が言うのだから、多くの人は「ハーフ」がイジメの対象になるという印象を受けるでしょう。しかし、実際はそうではないと思います。「ハーフだから」という理由だけでイジメられるほどイジメは単純なものではないと思います。

 人付き合いがうまく出来なかったとき、「ハーフだから・・・」と私も考えたことがあります。けど、それは「ハーフ」を理由に逃げていただけなのだと後で気付きました。自分が人との間に壁を作っていたのを、「ハーフ」だから人が自分との間に壁を作っているのだと勘違いしていたのです。実際に壁を作っている人はいましたが、それは「ハーフ」であることと関係がなかったのだと思います。

 たとえイジメられているといっても、それは「ハーフ」という理由だけでイジメられているのではないと思います。イジメの原因を全て「ハーフだから」という考えを持つと余計にイジメられるでしょうし、イジメに負けてしまいます。「ハーフ」であることから逃れることは出来ないのですから「ハーフ」を理由に、自分の生まれを原因にしてしまうと、人生がツライだけのものになってしまいます。

 「ハーフ」だからイジメられる時代はあったのだと思います。小学生のとき、私も「ハーフ」であることをネタにされたことはあります。けれども、私はそれをイジメとして受け止めたことはありませんでした。自分のことをネタにされて嫌がる人もいますが、ネタにされることとイジメられることは違うことだと思います。

 何をイジメとして、何をイジメとしないかはとても難しいことです。イジメたつもりはなくても相手がイジメられたと思うと、それはイジメになってしまいます。そこがイジメの難しいところでしょう。「ハーフ」であることをネタにされてイジメられた思う人もいれば、そう思わない人もいます。「ハーフ」であることがイジメのきっかけになることもあるでしょうが、「ハーフ」なら誰もがイジメられるということはないと思います。

2003,02,07
投稿者: Hyoue 24歳
「思い出に残る旅」PDF

 「君ってハーフ?どことのハーフなん?」と初対面から質問する人と、私はなるべく付き合わないようにして来ました。

 私には「親友」と呼べる友達はいます。家族を除くと、私が心から信頼できるのは彼らだけです。街を歩けば「ガイジン」と言われ、初対面の人からは自分の出生に関する数々の質問をされてきたため、私は友人たち以外を信頼することはありませんでした。多くの場合、そのような質問をしてくる人は私の外見的特徴だけにしか興味を示しませんでした。そのような人と付き合わなくていいように、不愉快な思いをしなくていいように、私は防衛線を張りました。それが“よくある質問”をするかしないかです。

 私の趣味は自転車でツーリングをすることです。5年前に自転車ツーリングを始めたときから、いつか日本諸島(四島)を自転車で一周したいと思っていました。今から3年前、その目標の第一歩として選んだのが四国でした。地図上で一番面積が小さかった四国を、私は最初の目標にしました。

 旅の出発点は、香川県の高松市でした。出発の日は朝から雨が降っていましたが、雨具を着て高松市から徳島市まで走りました。

 二日目の朝はとても寒く、私はテントの中で朝食を食べました。朝食を食べ終え、外に出てテントを片付けようとしたとき、二台の小型トラックが近づいて来ました。そのトラックに乗っていた人たちは工事関係の人でした。私がテントを張った近くが作業現場だったので、私は邪魔にならないように急いで出発の支度を始めました。私が支度をしていると、二台のうちの一台がどこかへ走り去り、また戻って来ました。そして中からおじさんが出てきて
 「兄ちゃん、朝はもう食べたのか?これやるよ」

と言って、メロンパンと温かい缶コーヒーをくれました。出発直前だったので、私はそれをすぐには食べずに持って行くことにしました。後で飲んだコーヒーは、少し温かかったような気がします。もう冷めていたんですけど・・・。

 三日目、私は高知県に入りました。徳島県の南部からアップダウンの激しい道を走って来たので、平地が多い高知の道はとても走りやすかったです。この日は室戸岬の近くの砂浜にテントを張ることにしました。

 四日目は朝から雨でしたが、日数が限られた旅でしたので休むわけにはいきません。雨の中を走るのは、晴れの日の倍の体力を消耗します。それでも走ることを決めた私は、その日の目的地を高知県の窪川にしました。


 雨のため速く走れず、窪川に着いたのは暗くなってからでした。初めての土地だったので、どこにテントを張ったらいいかわかりませんでした。暗い中しばらく走っていると、小さな川を偶然みつけました。そこはテントを張るには良い場所ではなかったのですが、とにかく休みたかったので私はそこにテントを張ることにしました。

 テントを張る準備を始めようとしたとき
  「そんなとこで寝るくらいなら私たちの家に来なさい」

と近くを通りかかったおじいさんに言われました。このとき私はとても疲れていたので、その申し出を受けることにしました。奥さんと散歩中のその人は、私がおかしな場所にテントを張ろうとしたのを見て、家に招くことにしたのだと後で話してくれました。  家に行って晩御飯をご馳走になっているとき、近所のおばあさんが遊びに来ました。そのおばあさんを交えて色々話をしているとき、その人は私に言いました。

「あなたがこの人達と出会えたのは、あなたの普段の行いが良かったからですよ」

と。私はここに来るまで、追い抜いたお遍路さんや出会った人には必ず挨拶をしていました。“普段の行いが良かった”というのは、このことだと思いました。

「親切にして貰えたのは、お遍路さんに挨拶をしてきたからだ。心を開いて人と接していれば、必ず誰かが助けてくれる。この人たちに出会い、そして助けて貰えたのは、心を開いたからなんだ」

と、私はこのとき思いました。
 その六日後、私は旅を無事終えることが出来ました。高松市から高松市までおよそ1300キロの行程を、途中少し自転車が故障したりしたものの、十日間で無事に走ることが出来ました。

 この旅で会った人は、誰も私に「ナニ人?」とか「ハーフ?」とか聞きませんでした。「どこから来た?」と出身地(都道府県)を尋ねるだけで、それ以上のことは何も聞きませんでした。こんな経験は、生まれて初めてのことでした。生まれて初めて、誰にも「ナニ人?」と聞かれなかったのです。

 多くの人に助けられたから、私は無事に旅を終えることが出来ました。

  「人は生きているのではなく、生かされている」

 この旅を通して私はそう思うようになりました。今では「君ってハーフ?どことのハーフなん?」と初対面から質問する人とでも私は付き合うようになりました。はじめから人柄を決め付けるのではなくよく付き合ってから人柄を判断するようになりました。私の考え方や人の見方を大きく変えた旅、それが四国の旅でした。


2003.07.28(執筆2000,09,03)
投稿者:Courtney 16歳(執筆時)
「『ハーフ』って超羨ましい!」

 私の父はアメリカ人、母は日本人。まわりから見れば私はみんながよく言う「ハーフ」であって、純日本人でなければ、純アメリカ人でもありません。まず 必ずと言っていいほど初対面の人には「ハーフ?」、「英語ペラペラ?」と聞かれます。私の中でこの言葉はもうすでにゴハンと同じくらいの存在。なぜかといえば もちろん物心ついたころから 聞かれつづけてきたことで、今でも必ず聞かれるからです。

 1日3食のように1日3度聞かれる事だってまれではありません。まだ友達と初めて会ったばかりの頃、よく「ハーフって超うらやましい!だってかわいいし、英語と日本語はなせるし、外人さんかっこいいし、外国行き来できるし。いいよねー!!」ってもうハーフに生まれてきた事は100%良い事かのように言われました。

 でも実際、純〇〇人として生まれてきた方とは違った面でたくさんの苦労と悩みがあるのです。私の場合、こうやって人前で どんなことが辛かった、苦労したと言えるから良いのですが、中にはやっぱりとても言えないという方もいるはずです。もちろん純〇〇人として生まれた方々も、人生の中にはとてもたくさんの苦労があります。それはどんな人間でも同じです。苦労のない人間などいません。ただ、いつも 「ハーフ」の子は羨ましい!羨ましい!といわれつづけてきましたが、まわりが言うほど羨ましいものでもないような気がするのです。

 もし私が純○○人として生まれてきてたら、また周りのみんなと同じ事を言ってるのかもわかりませんが。そればっかりはなってみないと分からないですね。




2003.07.28(執筆2000,09,03)
投稿者:Courtney 16歳(執筆時)
「いじめ」

 何度か「ハーフ」の子供について書いてあるHPを見た事があるのですが、そこで親達は自分の子供の事についていろいろ書いていました。例えば、将来の言葉の心配、学校へ行けばいじめの心配、もちろん親の方々は国際結婚なので、離婚の心配(アメリカでは2人に1人が離婚しているという現状です)。書き出したらキリがないほど心配事がたくさんあるようです。そういうサイトのBBS上には大抵たくさんの質問があります。将来のいじめの相談、インターナショナルの学校の相談、外見差別などの相談・・・etc.などなど 私にすると“え?”って思いたくなるようなコメントもたくさん見かけます。

 たしかに実際に日本ではまだ“いじめ”はあります。でも、日本だけではありません。ましては、アメリカ、イギリスの方がはるかに酷いいじめをする子供達が多いです。 私もハーフで嫌な思いをたくさんしてきました。いつもケンカで悪口を言われる時は「チビ!」「デブ!」「バカ!」などのものではなく、「がいじ〜ん!」、「国帰れ〜!」、「頭にうんこ乗ってるぞ〜!」、「なんで毛の色ぜんぶ茶色なの?もしかして、あそこも茶色の毛〜?」。 バイト、仕事等の面接時には「あのぉ、、、失礼ですが、漢字の方は、、問題なく全部、、読めるのでしょうか?」、「キャン ユ〜 スピーク ジャ〜パニーズ?」。 もうこれ以上にたくさんたくさんあります。でもそれを乗りきって初めて、人よりも強い自分になれるのです!気づいたら、小さな事でもくじけないような強い自分になっていたのも、そういう部分を乗り越えてきたからだと思います。

 小さな頃は誰だってケンカをします。特に私はとても元気でよく喋るタイプなのでケンカもたくさんしました。でもいつも言われるのはまわりの子とは明かに違う悪口です。これは確実な言葉のいじめにあたるようです。ただ、私は当時、これがいじめだとはこれっぽっちも思っていませんでした。いじめだとは思っていなかったけど、辛い思いをしたことはたくさんたくさんありました。

 まだ小学校1年生の頃でも何度も何度も学校の教室で泣きました。「国帰れー!外人!」などと悪口をいわれ、次第に私は小さいながらも自分はどこにいても外人なんだと思うようになりました。日本にいても「外人」。アメリカにいても「外人」。じゃあ、じゃあ私は一体、何人なの?どっちが私の母国なの?など思っていました。でも私にとっては両方の国が自分の母国です。私の中では私は「日本人」であり、「アメリカ人」でもあるのです。

 ただまわりにいる人間は違います。言葉で人を傷つける事は簡単で、自分が傷ついた時には人を絶対に傷つけない!って思うのに、自分が知らない間に自分の言葉で人を傷つけているのです。傷つけるのは簡単なことなのです。だからまわりの人間は私を傷つけるために言ったわけではなく軽い気持ちで言っただけなのでしょうが、それが何度も度重なれば、全員に言われたワケでもないのに自然とまわりの人間はみんなそう思っているんだ・・・ と思ってしまうのです。

 例えば、最近少し太って何人かの知り合いに「あら、あなた太ったわね」といわれれば「あー、太ったかも。ダイエットしないと!」って思うのと同じです。何人かに日本で「アメリカ人!外人!」と言われれば 「私は日本ではアメリカ人として見られるんだ・・・。」と思うし、アメリカで「日本人!外人!」といわれれば「私はアメリカでは日本人として見られるんだ・・・。」と思うわけです。でも、私はいじめはあってはいけない事だと思います。いじめを侵してしまう、しまわないというのは全て自分でのセルフコントロールにかかっているのです。...PEACE!

2004,12,11
投稿者:chris 19歳
「『ハーフ』のイメージ」

 私はアメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた「ハーフ」です。アメリカ生まれで、ほとんど日本で育ち、“うんざり”するくらいの同じ様な質問と一緒に生きてきました。そのことには飽き飽きしていたけど、あんまり嫌な思いはした事はありません。だけどこの間、信じられないような言葉をアルバイト先の友達から聞きました。

 「ハーフにもさ、良いのと悪いのがあるよね」

 正直、本当にビックリしました。その子に「何で?」と聞くと、「ハーフっていうとオシャレでかわいくて、アメリカとかイギリスって感じだから」と答えました。 このイメージ、日本では結構あるみたいです。

 自分の周りの小さな世界の、ほんの少しの人の意見で「○○人は・・・」と言うのは嫌いです。だけど、最近ではモデルなどで、メディアに出る「ハーフ」がものすごく増えています。かといって、友達の半分は「ハーフ」みたいな事では無いので、メディアからの影響が一番強いんだと思います。その子は私が傷ついたなんて絶対思っていないだろうし、そんな気は全然無いと思います。私に向けて言っていなかったろうし・・・。でもすごく傷つきました。

 私は嫌な思いはした事が無いと言いましたが、どっちの国にも入りきれなくて、それがコンプレックスになって、家に閉じこもる時期もありました。「ハーフ」の自分をとても美しいと思っている反面、そうじゃない部分もあります。
 こういう強い影響力から出来上がる、時には誰かをものすごく傷つけてしまう言葉を、みんなは聞いた事があるのかな・・・?

2005,03,14
投稿者: Hyoue 26歳
「ドイツに、行く?帰る?」PDF

 「今度は、いつドイツに帰るん?」

 小さいときから私は友達にこのように聞かれることがありました。そう聞かれる度に「ドイツへは“行く”んや」といつも訂正していました。なぜなら、私にとってドイツは里帰りする母に着いて“行く”場所であって、自分が“帰る”場所ではないからです。

 なぜ“行く”と“帰る”の違いにこだわるようになったのかは自分でもわかりません。「ドイツに帰れ!」と子どもの頃に言われた記憶はありませんが、実際は言われたことがあり、それでこだわるようになったとも考えられます。

 「ドイツにいつ帰るん?」と言われると、まるで「日本から出て行け!」と言われているような気がします。もちろん、この質問をする人は「出て行け!」というつもりでは言ってないと思います。しかし、無意識のうちに出て行ってもらいたいと思っているとも考えられます。そのような「無意識の排他性」は、いまでも時々感じることがあります。

 私は日本で生まれ、日本語を第一言語として育ち、ほとんど日本から離れたことはありません。ドイツに“行く”のも海外旅行と同じ感覚です。それにも関わらず、いずれ“帰る”人のような扱いを受けることがあります。そういうとき、自分がどこに所属しているのかわからなくなります。

 自分の所属するところを、“帰る”場所をわざわざ証明しなければならないのはなぜか?「無意識の排他性」を感じる度に、そういう疑問が浮かび上がって来ます。

2005,10,10
投稿者: Hyoue 27歳
「かわいそう?」PDF

 「いま、幸せですか?」

 これは以前、「ハーフ」と呼ばれる立場から来る経験を話したときに聞かれたことです。この質問は「子供が“かわいそう”だから」という理由で結婚を反対されている人からのものでした。国際結婚から生まれた子供は色々な悩みを抱えるから「かわいそう」、それがこの発言の根拠なのかもしれません。

 私は物事を考えるのが好きな性格のため、色々なことを考えます。高校生の頃、「自分はナニ人か?」という、まるで「出口のない迷路」のような疑問について考えていたときには「どうして、こんなことで考えなければいけないのか」「もしかしたら考えているのは自分だけではないのか」と思ったことがあります。

  しかし、色々と経験を積んでいく中で、誰もがその内容は違うけれど何らかの悩みを抱えていることがわかりました。「自分はナニ人か?」ということで悩んでいた友人は周りにはいませんでしたが、それぞれ自分が向き合っている現実に対処するために様々なことで悩んでいました。

 人はそれぞれの与えられた現実と向き合って生きていると思います。「ハーフ」と呼ばれるというのも、ひとつの現実です。例えば「自分はナニ人か?」という問題は、それを考えた事のない人には大変な悩みに思えるでしょうが、考える機会が与えられ、そして自分なりの結論に至った人には「思春期の悩み」のように、人生の通過点として受け止められる、自然な悩みとなると思います。

 「子供が“かわいそう”だから結婚は反対だ」と周囲に言われ、そしてその意見に同調して結婚を諦める人もいるかもしれません。結婚しても子供を産まない人もいるかもしれません。しかし、もしそれで子供を産み育てないのであれば、それは「ハーフ」と呼ばれている人を、その“存在を否定”することになっていると思います。「“かわいそう”だから結婚しない・子供を産まない」と考える人には、その考えにこそ問題があるのだと、早く気づいてもらいたいものです。

2006,06,07
投稿者:Petra 32歳
「びっくりしたこと!」

私は父がドイツ人、母が日本人で小学校2年までドイツで、その後は日本で育ちました。

日本に来たばかりのころ、通りすがりの子供に「アメリカ人!」と言われ、びっくりしました。「どうしてアメリカ人なのかな?私の父さんドイツ人だけど・・・」、子供ながら不思議に思ったのを覚えています。

日本では初対面の時に「何人?」と聞かれないと、「あ、この人は訊かなかったな」と印象に残るくらい、いつも尋ねられました。「何でそれがそんなに大事なん?」と苛立ちを覚えたものです。公共の場所に行くと、常に人の視線を感じ、それがいやでした。

「ドイツに行けば、日本人、日本にいれば外国人。私はどっちに行ってもそこの国の人じゃないんだ。」と感じて少し、寂しく思うこともありました。

高校でオーストラリアに留学した時、誰からも質問されませんでした。いろんな「人種」が混じっていて当然だからです。これは新鮮でした。現地の友達が、私が「日本人」から、「あなたは何人ですか?」と訊かれるのを見ては「失礼だ!」と憤慨していたのを思い出します。そのうち「自分は自分で別に何人ということにこだわる必要はないんだ」と思うようになりました。

高校まで同じような境遇の人に会わなかったのですが、塾で初めて、同じ教室にハーフの人を見つけた時です。自分が驚きと好奇心で、その人を何度も見ていることに気づき、ショックでした。「ああ、こんな感じで私も見られているんだな」と初めて気づきました。その後も不快感は不変ですが、見る人の気持ちも少しは分かるようになった気がします。

大学の時に、初めて身近に(クラブの先輩に)外国籍のお母様を持つ方がいらっしゃった時も新鮮な経験をしました。その方が、他学生から「ハーフですか?」と訊かれて、「そうなの、母が○○人で父が日本人よ」とすごく自然に答えているのを見た時、目から鱗が落ちたように感じました。

それまで私はなるべく、自分から両親のことについて話さず、訊かれて仕方なく答える、という感じでした。だから、まず「ハーフ?」という質問があり、その後「何処のハーフなの?」という質問 がくるのが定石で決して自分から国籍を言うことはしませんでした。そもそも、その話題を振られることが嫌だったのです。

しかし、その先輩を見て、ああ、そうか、 別に特別なことと思わずに素直に話せばいいのかな、と驚きながら納得したのを覚えています。

2006,12,15
投稿者:エレナ 30代
「ハーフといじめ」

私は小学校だけで8回転校しました。今でも転校する度の生徒達の反応を覚えてます。

東北の学校でも九州でも必ず『ガイジ〜ン』って言われました。大人数で口をそろえて言うんですよ。それはもうすごい迫力で。私はこれに慣れたし、みんなもいつまでもガイジンガイジン言うわけじゃないです。少なくてもクラスメイトは一月もすればガイジンって言わなくなります。

ただね、やっぱり私のする事は目立つわけですよ。全てにおいての言動が。 だからね、ちょっとでもみんなとお弁当が違ったりすると「やっぱりお前はガイジンだな」とかって言われるんです。給食で魚を残したりすると「ガイジンだから食べれないんだろう」とかね。

ある学校で、先生がみんなのまえで「エレナさんかわいいね〜。お人形さんみたい」って言ったんです。その場ではみんな黙ってたけど休み時間になって「ガイジンのくせに先生にかわいいって言われたからって調子乗ってるんじゃねーよ」 って言われ、私その時に「自分が言われなかったからって嫉妬しないでよ」って言った。

大バカ。これが引き金になって色々言われ始めた。「ここは日本人の学校だからお前が来るとこじゃない」とか「スペインに帰れ」とか。もうこうなったら手遅れ。次の転校を待つしかない、逃げだけど。一度そうなったら前の状態に戻すのは困難だし・・・・・。

ここでイジメられるハーフとそうでないハーフの差があるんじゃないかな。。。でしゃばったような事をしたら絶対ダメ。これはハーフだけじゃない。誰でも自慢する人は嫌われるし。

当人が自慢のつもりじゃなくても周りには自慢にしか聞こえないことってあるし。例えば、「鳥のササミ揚げはスペイン語でポーイートって言うんだよ〜」って言ったとしますよね。ある人は「そうなんだ〜」で済むけど ある人は「スペイン語しゃべれるからって調子に乗ってる」になるわけですよ。

興味ある子は質問してくるんです。○○○はスペイン語でなんて言うの?って。ここで少しでもでしゃばったような口調で言ったらアウト まぁ「知らない」って答えたら「お前の親ガイジンのくせにしゃべれないの?」って言われるんだけど。

そういえば一回だけガイジンってあまり言われなかった学校があった。転校初日に、うちのお母さんがハイヒールのままで教室まで入って生徒の机に腰掛けてタバコ吸い始めたんです。先生も黙ってみてるわけ。生徒もで、タバコを一服して「エレナよろしく。イジメるヤツがいたら覚えとけ」 って一言行って教室を去ったわけですよ。先生もみんなもビックリしてね。シーーーーーーーーーーンとしてた。先生が「それじゃぁ、自己紹介を」って言うから 私は「私のお母さんはガイジンだけど私は日本人です」って言ったんです。拍手されました。

前の学校みたいにガイジンって言われることもなかった。この小学校は制服だったんだけど私は持ってなかったから一時は私服で登校してて、目立ってたんだけど、みんな「早く制服届くといいね〜」って言ってくれたり、制服が準備できて着たときは「とっても似合うよ」って言われてすごく嬉しかった。

この学校は結局一月しかいられなかったけど転校する日には泣く子もいて、プレゼント用意してくれた子も沢山いてホントに嬉しかったし転校したくなかった。最後までみんなは私を日本人として接してくれたんだな〜って、転校初日あんなんだったのに。

アメリカに住んでるハーフの子達で「私・俺は日本に行けばモテる」って言ってる子達がいるらしいけど、たぶん親がそう子供に吹込んでると思うんだけど、そんな感覚で日本の学校に行くと、 エライ目にあうと思う。ハーフである自分を誇りに思うのと、ハーフであることに優越感を持って自慢するのとは違うし。

ハーフだとイジメられるか?本人次第です。 ベタで申し訳ないです。ただ言える事は、ハーフだと言動が周りより目立つ事ですね。。

2008,03,15
投稿者:Nourhan 19歳
「『ハーフいいなぁ』って言う人へ

ハーフといわれる私たちは、普段色んな人たちから羨(うらや)ましがられたりします。でも、それが嫌な人もたくさんいます。

「ハーフうらやましい!」
「ハーフって綺麗でカッコいいからいいなぁ〜」
「両国の良い所取りで最高じゃん!」
「ハーフに生まれたかった」
「ハーフって得だよね」
「ガイジンの血入ってるってカッコいいよね!」
「ハーフなんだ!もちろんバイリンガルだよね」
「何か喋って〜」
「両親のどっちが外人?」
「日本と外国どっちの方が好き?」
「夏休みには国に帰ってるの?」
「日本語話せるの?」
「モデルになればいいのに!」
「ハーフってほんと得だよね!」
「ガイジンと結婚してハーフの子供産むんだ!」
「ハーフってだけで何かおしゃれな感じ」
「ハーフはみんな存在感あってカッコいい」
「ハーフと付き合ってみたい!自慢出来るし」
「ハーフが隣にいるだけで気分いい」
「ハーフってずるい」

多くのハーフの人達がこういった事をたくさん言われ続けてきました。それはもう本当に呆れるほどに。もちろん全てのハーフがそうだとは言いませんよ。みんなそれぞれ違う人間、全員の経験が一致しないのは当たり前です。

だけど大体のハーフはいじめられたり、どこ行っても外国人扱いな事に疲れたり、「自分は何人?」などの問いかけにずっと悩んで自分のアイディンティティーについて考えたり、ずっと変わらない差別や偏見や思い込みに腹を立て、耐えたりしてます。苦労しないで悩みなしに生きてる人間はいないけど、大体の人は+普通の人がしない苦労や努力をしてるんです。

ハーフだからこそ悩む事、寂しいと感じる事を全く考えずに羨ましがるのはどうかと思うのです。よく、

「ハーフな事に誇りを持ってください!」
「何でそんなネガティブなんですか〜。ハーフな事を利用して前向きに考えましょうよ〜」
「ハーフいいじゃないですか!一体何が不満なんですか!?」
「自分にない物をうらやましがるのは当たり前だし、何で私達がハーフうらやましがる事を不愉快に感じるんですか!?」

等の説教、苦情を言われるのではっきりさせておきますが、私は自分がハーフな事に誇りを持ってますし、今までの経験を語り合ったり、嫌な事があって愚痴りあう事によって励まされたり元気になったりするのは、決してネガティブ思考ではないと思います。

メディアで活躍してる有名人のハーフを見て好きになったり、憧れを抱く気持ちも理解出来ないわけではないです。だけど、芸能界で活躍出来る人というのは、そういう才能があるから活躍出来るのであって、ハーフだから才能ある、ハーフだから綺麗、ハーフだから活躍出来るというわけではなくてそういう素質があるから芸能界で活躍出来るのではないでしょうか?

ハーフ好きな事を全面否定する気はないです。ハーフ顔が好きな人に「好み変えて!」と言ってるわけじゃないし、それぞれの好みですしね。 けど、外見が理由で「ハーフ好き!」「ハーフに生まれたかった!」と言われると少し違和感感じるのです。

幻想を抱かれやすい有名人、その中のこれまた思い込みや憧れの目で見られがちのハーフといわれる人に憧れたり、彼らをものさしにハーフに対するイメージを抱く前に、少し考えてみてください。

「両親はどこで出会ったの?」等の人のプライバシーに関する質問をあまり親しくないのに興味本位でしないでください。

小さい頃から、毎回毎回同じ質問をされて、同じ答えを繰り返し答えてきた。これからもずっと、同じ質問をされ続け答え続けなきゃいけない事を考えてみてください。

外見「日本人」ぽくないハーフが日本語話すたびに驚かれたり、笑われたりする気持ち、日本でも外国でも外国人扱いされて寂しい思いしてる気持ちを、考えてみてください。

習う機会がなくて日本語しか喋れなかったり、外国育ちで日本語が喋れないのにバイリンガルだと決め付けられて困る気持ちを考えてみてください。

常に好奇の目でじろじろ見られ、変に目立ったりする気持ちを考えてみてください。

いろんな国とのハーフがいます。それぞれ違う悩みを持ってます。

ハーフだから得ばかりしてるわけではありません。

ハーフに対するイメージ、考え直してみてください。

2008,07,01
投稿者:Flea 15歳
「なぜ名前にこだわる?」

僕の父はオーストラリア人です。つまり僕はハーフということになります。生まれてから8歳まであっちにいてオーストラリアにたいする愛国心が強いです。もうすぐ日本にいる時間とオーストラリアにいた時間が同じになります。オーストラリアを故郷と思っているので複雑 な心境です。
 
そんな僕には名前が2つあります。1つはいわゆる「ガイジン」の名前です。そしてもう一つはおもいっきり日本人の和風な名前なのです。苗字と名前で2つの名前という訳ではなく、苗字と名前が2セットあるのです。2つの名前は国によって使い分けているのですが、日本で自己紹介をするといつも「え!?」という顔をされます。

そこでオーストラリアの名前を名乗るとやっと納得してもらえます。今は高校一年生なのですが、名前を呼ばれるときはオーストラリアの名前と日本の名前が半々ぐら いです。ついこないだまで日本の名前で呼んでくれていた友達が、今日オーストラリアの名前に切り替えてきました。

僕はどちらの名前にも誇りをもっています。どちらの名前でよばれても嫌な思いはしません。どちらの名前でよばれても構いません。

ただ。あの「え!?」という顔をみると、悲しくなるのです。