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<title>Die Kreuzungsstelle：～交差点な人たち(ハーフ、ダブル、ミックスなどと呼ばれる人たち)の「声」～</title>
<link>http://www.kreuzungsstelle.com/</link>
<description>ハーフと“呼ばれる”人々など、ミックスルーツな人たちの「声」を主に発信するホームページ</description>
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<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/column5_11.html">
    <title>Column「交差する文化」 「ハーフがうらやましい」</title>
    
<link>http://www.kreuzungsstelle.com/column5_11.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[<description>　僕は両親が二人とも外国人ですが、日本生まれ日本育ちです。普通に近所の公立学校に小学生から中学まで学び、今は私立の高校に通っています。両親の母国語と英語が多少できますが、やっぱり日本語が一番得意です。
　昔から人に「どこ出身なの？」とよく聞かれます。僕は迷わず「日本」と答えます。もちろん日本の法律上いくら日本生まれでも日本国籍は得られません。でも僕は「何人？」と聞かれるまで一切自分の国籍を言いません。
</description><A href="http://www.kreuzungsstelle.com/column5_11.html" target="_top">（つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject>交差する文化</dc:subject>
    <dc:date>2011-7-30</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/column6_10.html">
    <title>Column「学校」　「子どもから見た他国出身お母さんの子育て」</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/column6_10.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[<description>「どうして普通のお母さんみたいに出来ないん！」、小学生か中学生の頃、僕は母に向かって何度かそう言ったことがあります。それは日本人のお母さんだったら当たり前に出来ることが、僕の母には出来なかったからです。ドイツ出身の母から受けた教育、そのほとんどは母にとって最も馴染みのあるドイツ語と、ドイツ人の家庭文化に基づいたものでした。そして、母のドイツ語による呼びかけに対して日本語で返事をする、それが我が家での普通の母子の会話でした。しかし、小学校に入った頃から、僕は自分の家庭が周りと違うことに気付き始めました。小さいときから遊んでいる近所の友だちのなかでは気付かなかったことを、それまで会ったことのない子どもたちを通して知ることになったのです。 </description><A href="http://www.kreuzungsstelle.com/column6_10.html" target="_top"> （つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject>学校</dc:subject>
    <dc:date>2010-11-23</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/column6_9.html">
    <title>Column「学校」　「授業参観日の想い出」</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/column6_9.html</link>
 <content:encoded><![CDATA[<description>その日は朝からユウウツだった。母が学校に来るという事実は、普段はクラスに溶け込んでいると思っている僕を不安にさせる。「ガイジン」、クラスのみんなは誰もそんなことを言わない。僕の母が「外国人」だということは誰もが知っているからだろうか。母が来ようが来まいが僕がクラスの一員であるという事実は変わらない。しかし、やはり母の登場は僕を不安にさせる。母の存在は、僕が皆と同じでないことを思い出させるからである。</description><A href="http://www.kreuzungsstelle.com/column6_9.html" target="_top">（つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject>学校</dc:subject>
    <dc:date>2010-10-28</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/column6_8.html">
    <title>Column「学校」「ハーフとして親として」 by グレース</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/column6_8.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[<description>  私は国籍は日本ですがロシア、イギリス、日本、ドイツの血が流れています。父がロシア×日本　母がイギリス×ドイツです。子供の頃は「ガイジン！」とか「ヘンな名前」「目の色が気持ち悪い！」など言われて傷ついてきましたが、中学生から高校生にかけてはクラスメイトに「ハーフっていいな」とかイジメていた人が味方になりました。</FONT>
</description><A href="http://www.kreuzungsstelle.com/column6_8.html" target="_top">（つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject>学校</dc:subject>
    <dc:date>2009-5-1</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/column5_10.html">
    <title>Column 「交差する文化」　「ハーフブームと『ハーフ顔』？」</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/column5_10.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[<description>このサイト（ホームページ）を始めた2002年頃、「ハーフ」と呼ばれる人々は、まだそれほど頻繁にテレビなどに出てくる存在ではありませんでした。ラジオ番組のDJとしてや、女性誌で継続的に起用されていましたが、テレビ番組などではあまり登場していなかったと思います。もっとも、これは私が物心ついた1980年後半以降2002年頃までの印象で、実際は1960年代後半から1970年代には「ハーフ」と呼ばれる人々は多くメディアに登場していたようです。そもそも、「ハーフ」という言葉はこの頃「ゴールデンハーフ」（1968年デビュー、1973年解散）という女性のグループが登場したことで一般化したものといいます。</description><A href="http://www.kreuzungsstelle.com/column5_10.html" target="_top">（つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject>交差する文化</dc:subject>
    <dc:date>2009-4-3</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/column8_10.html">
    <title>Column 「ガイジン（外人）」　「僕はガイジンでもなければ日本人でもないハーフだ！！」by　mikhail</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/column8_10.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[<description>僕はイギリスと日本とのハーフです。思えば、今日まで様々な差別を受けてきた。僕は７歳までイギリスで普通に暮らしてきた。あっちでは、僕以外に様々な国からきていた人たちがいたし、まだ小さかったためか（大きくなってから差別が増えるのも変な話だが）あまり差別は受けていなかったが、ある一人の女の子に「あなた気持ち悪い」とか「中国語話しなさいよ！」とか言われて子供ながら深く傷ついた覚えがあります。両親の都合もあり小学１年生も終わりの頃に僕は日本にやってきて、日本の小学校に通うことになった。</description><A href="http://www.kreuzungsstelle.com/column8_10.html" target="_top">（つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject> ガイジン（外人）　</dc:subject>
    <dc:date>2008-11-22</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/column4_10.html">
    <title>Column 「日本国籍＝日本人？」　by アデリーナ</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/column4_10.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[<description>わたしには遠縁ですが、フィリピン人の親戚がいます。血のつながりは薄いし、実際にあって日も浅いけど、すごく気が合うので、わたしは彼らのことをフィリピンのおばさんと、いとこたちと呼んでいます。おばは、戦前にフィリピンに移住した日本人男性とフィリピン人女性との間に生まれて、いわゆるハーフ。いとこたちは日系クォーター。私自身も、最近で言われるミックスなので、わたしたちの日常会話は英語です。だから、一緒に買い物にいったとき、いつも彼らのために通訳をします。文化も違うし、喧嘩もするけど、一緒にいると、とてもほっとする。仲間だなって気がするんです。 
　</description><A href="http://www.kreuzungsstelle.com/column4_10.html" target="_top">（つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject>国籍</dc:subject>
    <dc:date>2008-08-20</dc:date>
</item>


<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/column2_12.html">
    <title>Column「ハーフ？ダブル？」　「グローバリゼーションと『ミックス』」</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/column2_12.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[<description>「ハーフ」などの呼び方・呼ばれ方について考えたとき、新しい呼称が生まれる時には、何か新しい動きが生じている時のように思います。例えば、「ハーフからダブル」という提案が出たのは1990年代、冷戦が終結して世界的な交流(と紛争）が増加し始めた時期です。「ハーフからダブルへ」、半分の意味を持つ「ハーフ」ではなく、異なる「二つの文化・ルーツ」を我が子に平等に受け継がせたい、「ダブル」という言葉にはそういう親の願いが込められていたのでしょう（1995年にNHKで放映された『日米二つの文化を生きる』(製作・著作Theodore R Life Jr.)において、この言葉は広く紹介されたと言えます）。しかし、この「ダブル」という言葉は、実際はそれほど浸透することはありませんでした。国際結婚をしている人々の中で使う人もいるのでしょうが、日本社会全体のなかでは、むしろ知らない人の方が多いでしょう。 
</description><A href="http://www.kreuzungsstelle.com/column2_12.html" target="_top">（つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject>ハーフ？ダブル？</dc:subject>
    <dc:date>2008-07-17</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/column7_12.html">
    <title>Column「よくある質問」　「なぜ名前にこだわる？」by Flea</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/column7_12.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[<description>僕の父はオーストラリア人です。つまり僕はハーフということになります。生まれてから８歳まであっちにいてオーストラリアにたいする愛国心が強いです。もうすぐ日本にいる時間とオーストラリアにいた時間が同じになります。オーストラリアを故郷と思っているので複雑 な心境です。そんな僕には名前が２つあります。１つはいわゆる「ガイジン」の名前です。そしてもう一つはおもいっきり日本人の和風な名前なのです。</description><A href="http://www.kreuzungsstelle.com/column7_12.html" target="_top">（つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject>よくある質問</dc:subject>
    <dc:date>2008-7-1</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/column3_10.html">
    <title>Column 「バイリンガル」「バイリンガル？」by　Maya</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/column3_10.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[<description>わたしは短大に通う２年生の女です。父がアメリカ人、母が日本人、長女として生まれてきました。小さな頃から、自分の顔が外国人っぽいことを嫌がっていて、「自分は日本人にはなれない。大人になったら日本人の顔に整形しよう」そんなことをつね日頃思っていました。３歳頃までは米軍基地内に住んでいたので、英語もしゃべれる、いわゆるバイリンガルでした。小学校も日本の学校に通いましたが英語はまだ覚えていて、アメリカのおばあちゃんちに行っても問題なく過ごしていました。 しかし、 中学に入って、文法を習った途端、今まで聞いて耳で覚えてしゃべっ ていた「自分の英語」が、文法を学ぶ事により「間違った英語」を しゃべっていたような気がして、それからというもの、全くしゃべれなくなりました。 
</description><A href="http://www.kreuzungsstelle.com/column3_10.html" target="_top">（つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
    <dc:date>2008-06-27</dc:date>
<dc:subject>バイリンガル</dc:subject>
</item>


<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/column1_14.html">
    <title>Column 「私はナニ人？」　「私はガイジン？」byVictoria.K</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/column1_14.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[私の父は、戦後の混乱の中、アメリカ軍人と、日本人の女性の間に生まれました。祖母の家系は、さかのぼると、ロシア、中国、韓国、アイヌにもつながるそうです。ですから、私はいわゆる“クォーター”と呼ばれるカテゴリに入るのでしょう。私はそれを、大学に入るか、入らないかのときに知ったので、始めはとても混乱しました（法律上の祖父と、生物学的な祖父が違うため。ようするに、私は戸籍上の祖父と血縁関係がないということをも、同時にしったからです。）
<A href="http://www.kreuzungsstelle.com/column1_14.html" target="_top">（つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
    <dc:date>2008-05-11</dc:date>
<dc:subject>自分はナニ人？</dc:subject>
</item>

<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/column7_11.html">
    <title>Column 「よくある質問」　「『ハーフいいなぁ』って言う人へ」by Nourhan</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/column7_11.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[ハーフといわれる私たちは、普段色んな人たちから羨（うらや）ましがられたりします。でも、それが嫌な人もたくさんいます。「ハーフうらやましい！」「ハーフって綺麗でカッコいいからいいなぁ～」「両国の良い所取りで最高じゃん！」 「ハーフに生まれたかった」「ハーフって得だよね」ほとんどのハーフの人達がこういった事をたくさん言われ続けてきました。それはもう本当に呆れるほどに。もちろん全てのハーフがそうだとは言いませんよ。みんなそれぞれ違う人間、全員の経験が一致しないのは当たり前です。<A href="http://www.kreuzungsstelle.com/column7_11.html" target="_top">（つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject>よくある質問</dc:subject>
    <dc:date>2008-03-15</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/parent.html">
    <title>Voices of parent：親の立場からの声</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/parent.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[当サイトの開設時(2002年9月19日)から現在までに頂いた「ハーフ(ダブルetc.)」と“呼ばれる”子供（中学生ぐらいまで）の親の立場にある方々（主にお母さん方）の声の“一部”を掲載させて頂いたものです。ここに紹介する声のなかで語られる経験が、いまの「ハーフ」と“呼ばれる”子供の経験の全体像でないことは言うまでもないことですが、それでもあえて掲載させて頂くことにしました。
 <A href="http://www.kreuzungsstelle.com/parent.html" target="_top"> （つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject>親の立場からの声</dc:subject>
    <dc:date>2008-03-04</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/bookreview_5.html">
    <title>Bookreview 華恵『本を読むわたし　My Book Report 』 筑摩書房　2006年</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/bookreview_5.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[『本を読むわたし』は、著者が幼稚園時代に初めて買って貰った『I Like Me!』（Nancy Carlson）という絵本から、中学生になって読んだ『非色』（有吉佐和子）までの15冊を軸にして思い出をつづったエッセイ集。『小学生日記』と同じように、物語風に書かれた部分もありますが、この本はエッセイ集的な要素が強くなっています。
 <A href="http://www.kreuzungsstelle.com/bookreview_5.html" target="_top"> （つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject>書評</dc:subject>
    <dc:date>2008-03-01</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.kreuzungsstelle.com/bookreview_4.html">
    <title>Bookreview 華恵(hanae*)『小学生日記』角川書店　2005</title>
    <link>http://www.kreuzungsstelle.com/bookreview_4.html</link>
    <content:encoded><![CDATA[『小学生日記』は、いまの都心部に住む小学生の日常を垣間見られる要素があるため、様々な立場の人に評価される著作だと思います。しかし、この著作は「ハーフ」と“呼ばれる”人の著作というフィルター（色眼鏡）を通しても読むことができます。著者の華恵（2006年以前のペンネームはhanae*）は、1991年アメリカで生まれ、6歳までニューヨークで暮らした後、母親と共に日本で暮らし始めています。彼女の父はドイツ系アメリカ人で、彼女は母  
 と共に日本に戻るまでニューヨークで兄らと共に暮らしていたといいます。
 <A href="http://www.kreuzungsstelle.com/bookreview_4.html" target="_top"> （つづきを読む) </A>]]></content:encoded>
<dc:subject>書評</dc:subject>
    <dc:date>2008-02-15</dc:date>
</item>







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