2004,02,16
投稿者:どら
私もハーフです。今は日本ではダブルって言うらしいですね。けれど私はもうこの「ハーフ」って言葉に慣れてしまって、変えられないんですよね。

私は、フランス人と日本人のハーフです。「フランス系日本人」と言ってもいいのでしょうけど、日本にもフランスにも住んでいないため、「フランス人と日本人のハーフ」になってしまうんですよね。私はカナダに住んでいます。生まれも育ちもカナダです。

けど、不思議なものですね。今まで、自分が根っからのカナダ人だと思ったこともないんです。カナダは私の国だとは思いますが、私は日本人でもあって、フランス人としてのアイデンティティーも忘れられない。

そして、日本が好き。コラムで「片思い」ってあったじゃないですか?全く一緒です。好きで好きで、届かない。日本にいる日本人の方々が羨ましいです。日本の全てを独り占めできて、誰もその権利を問わない。私は、「日本好きの外人」で終わっちゃう恐れがある。日本にいる日本人より日本のこと知ってるかもしれないのに、どうして認められないのだろう・・・とか、いろんな事思ったり・・・

2004,02,12
投稿者:Lisa

私は父が英国、母日本人のハーフ。
昔から日本社会では「変な特別扱い」を受けたので、体験もいろいろ。

幼年期のショック1といえばまず「終わることのない質問」。小学校に上がってからは質問攻撃に耐えられず、学校では急にしゃべらなくなっちゃって(イジメはなかったけど)、一時期週ごとに母とカウンセリングを受けに行ったりしてたんです。その時の事を母は後々「あそこは**先生とお遊びする所じゃなくって、鏡越しにリサの行動を先生と見てたのよ」って言っていました。(あそこは私の唯一の楽しみの場所だったのに。私は問題児だったのか〜)なんて勘違いしたりした覚えも。そこでは、一人でいろんな玩具で遊んだり、先生が遊び相手になってくれたり、親自身も育て方のカウンセリングを受けたりできて、(メールで情報交換なんてなかったですからね)意外に私にとっても、すごくストレスの発散できる所だったんです。あの時、同じような歳のハーフの女の子も隣の部屋に来てて、すごく印象的だったなあ。

今では、そのとても繊細だった子供は、自分なりに考えたり、人と話すよう努力したりして、かなり人生を前向き考えられるような大人になりました。昔は自分も親も毎日が必死だったけれど、今では過去のことも笑って親友に話したりすることもあります。そして私が確かなのは、これから人生を送る中で、あの頃ほど精神的に追い込まれることは絶対にないってことなんですよね。

これからの日本に育つハーフや多国籍の子供達も、多かれ少なかれ苦労する場面はあると思います。子供といっても自分で人生経験を積むしか他はない。でもやっぱり、理解してあげられる親、友達、大人がまわりにいる事って一番大事なんじゃないかな。


2004,02,08
投稿者: Naoya
私は日韓系のハーフです(母が韓国人で、父が日本人)。

私は15歳ぐらいまで自分がハーフであるということを知りませんでした。私の母は所謂在日韓国人と いうやつで、田舎の過疎地に住んでいたこともあってか、排他的な単一民族の日本の民族性に感化されていたらしく、韓国人であるということを隠してきたとい う経緯が、私が15歳までハーフであるという事を知らずに来た原因であると思われます。

別にハーフであるというのは構わなかったけど、それを親が隠していたのが辛かったなと思います。それが生きる術として身に付けたものであったとしても、隠して良いものと、悪いものぐらいの分別は身に付けておけよと思いまし た。しかし今となっては、片親で私や兄弟を必死にな って育ててくれた、強い母親の弱さを垣間見た瞬間であったなと思います。

2003,11,20
投稿者: Kiefer
私はドイツ人と日本人のハーフで、今20歳の大学生です。
今日たまたまこのHPに遭遇しましたのですが、私と同じような事を感じている人が他にもいたんだーと、思わず書き込みをしてしまいました。
私の場合、ドイツ語は話せるけれども見た目はほとんど日本人という、外見と内面の葛藤にずっと苦しんできました。そのためだけ、というわけではありませんが、今自分探しのためにドイツに留学しています。
もう早くも留学生活の半分以上が過ぎ、こちらの生活にもずいぶん慣れましたが、ドイツで実際に生活してみて今思う事は、やはり私の故郷は日本なのだなぁという事です。日本にいた時はこっちでのあくせくした生活が嫌で、ドイツを恋しがってばかりいたのに。。。自分でも正直驚きました。
もちろんドイツでの生活も楽しんでいますが、最近は日本に帰国してからの事を考える事が次第に多くなってきています。

2003,10,27
投稿者:シオリ
私はイギリスとのハーフです。20才です。
今までハーフの知り合いがあまりいなかったので、ここのコラムを読んで、なんだか感動しました。仲間(?)がいたーー!!!って。改めてハーフについて色々考えました。


2003,10,11
投稿者: シェリル
私は父がアメリカ人、母が日本人のハーフ(二重国籍)の17歳です。
私は運良く?差別は受けませんでしたが、偏見を多く受けてきました。

旅行でフランス、イタリア、アメリカ(ハワイも)を行ってきたことがあり、小4、5はイギリスに住んでました。それ以外はずっと日本です。その5カ国の中で、私が偏見を受けた国は日本しかありません。酷いほどに日本は固定観念が多いですね。母も言ってました「この調子だと、日本は50年後になっても変わらないね」と。確かに…。

今高3ですが、高校生になってから偏見が凄くなりましたね。それまでは、

 幼稚園:国籍なんて大して気にしない、
 小学校:大して気にしない年齢のまま小6へ、
 中学校:小学校からの友達が半数以上はいるから(2つの小学校がくる)その雰
       囲気もあってもう1校の人たちも偏見は自然と少なくなる。
 
と言う具合だったので、初対面の人ばっかりな高校は凄まじい偏見が。どうにかしたいんですけどねぇ…;

高2の頭から別の高校に入ったのですが(理由は偏見とかではなく)、通信制の高校でして月1の登校なんです。その為、数人の友達以外は面識がないくらいで、その分偏見も少なく感じられます。それでもあるんですよね、偏見;

私は自我が物凄い強いので、「偏見受けてるのは自分だけ…」とかって見失うことがないのが幸いですが(笑)、やはり消えない傷は付きますね。

私は今二重国籍ですが、今後どちらかに決めなければならないときが来ます。小さい頃からそのときが来ることは知っていましたが、高校生になって、まさかこんなに複雑なものだったのかと思いました。アメリカ国籍にすれば、私の名前の漢字がローマ字に。日本国籍にすれば、英語の名前が使えない。…やだ(笑)

小さい頃は詳しくはわかりませんでしたが、その頃から今でも思っていることは「このまま二重国籍でいてやる」ということです。信念は絶っっ対に曲げません!
名前のこともですが、もう片方の国を(親を)捨てるように感じるからです(愛国心はありませんが、慣れ親しんだところを捨てるような感じ)。


2003,10,08
投稿者:freefall
私もハーフで、父親が日本人で母親がインドネシア人(中国系)です。私はシンガポール育ちで、小さい頃からシンガポールに住んでいます。けれども、日本人学校には行きませんでした。

今まで私は自分のアイデンティティについてあまり違和感を覚えたことはありません。なぜなら、シンガポールは多民族の国でみんな平和に共存しており、自分の中にどんな血が流れているかは誰も気にしていないからです。

私は一応日本で生まれ、日本の名字をもっています。そのため、自分は日本人だと思ってました。しかし、日本の大学に入るため、日本に帰国してから「自分はやっぱり日本人じゃないかな」と実感し始め、アイデンティティについて考えるようになりました。

一応中国系と日本のハーフなので、日本ではきっと100%日本人で日本育ちであると勝手に思い込まれてます(ある意味しょうがないと思う。見た目じゃわからないから)。
しかし、私の行動、態度や振る舞いは日本人と違う上に日本語もうまく話せないため、みんなからは「この子は変」という目で見られます。何度説明しても結局誰もわかってくれません。今回このホームページを読んで「みんなそれぞれの苦労があって私だけじゃないんだね」と思えて、安心しました。

2003,09,24
投稿者:HIME
私自身、仏と日本のハーフなので、何度も何度も頷きながら読ませていただきました。

日本で生まれ育ったハーフの多くは、私の知る限り自分は日本人であるという自覚が強く、他者からもそう認められて欲しいと願っている人が多いようですが、逆に、日本人であることを拒否してきてもう片方の血を強く意識し大事にしてきたハーフって、いませんかね? 私は思いっきり後者なんですが。

仏語コンプレックスがあるのでまともに使えませんが、仏への愛国心やらはあります。事実上仏と日本の国籍を持っていても問題にはならないと法務所で言われたにも関わらず、日本国籍をいずれ捨てられるなら捨てたいとまで思っていました。

でも最近、それもできないかも、と思い始めています・・・
否定してきた時期は長いけれど、私には日本人の血が流れているわけだし・・・
でも、一人の人間が全く異なる複数の国の国籍を持つことって、私は納得できないんですよね。

2003,07,24
投稿者: pra190e
私は父がインドネシア人、母が日本人のハーフです。大学までインドネシア国籍(父親の姓)、卒業後は帰化をして日本国籍(日本の姓)です。日本で生まれ育ち、日本語しか話せません。

私の父は訳あって若い頃来日したのですが、本当はインドネシアへ帰りたかったようです。その上母はインドネシアの文化に全く興味がなく、なぜ結婚したのかとツッコミたくなる位否定的です。帰化も母の強い希望でした。

そんながっかりするような家庭環境の中、私も子供の頃は「ガイジン」とイジメられ、周りと違う境遇に悩み、人一倍自己のアイデンティティーに疑問を抱いた時期がありました。さらに細かいことを書き始めると日が暮れるので省きますが、その結果今現在言えるのは「ハーフ」という事実は一生変わらない、ということだけです。宿命といったら大げさかもしれませんが、これが自分なんだと思い、受け入れる余裕ができたのはここ最近のことですけどね。

2003,07,22
投稿者:SHU
私は在日中国人(母は日本人、父は日本生まれの中国人)でアフリカ人と結婚し2歳になる息子がひとりおります。ちなみに国籍は中国です。現在は中国にて生活しているため、Nikolausさんのようなナニ人?という疑問を持つことがしばしばあります。

私自身も大学を卒業するまでは中国語も全く話せず、日本人のつもりで育って来ました。しかし、大学の時アルバイトをした中華料理店で中国人の友達ができ、その時はじめて、私はハーフ中国人なんだと感じました。その店には日本人の子もいましたが、ある時気がつくとちょうど彼等の中間的な存在になっていたのです。個人的に中国に対して親しみがあることもその要因になったのかも知れませんが、その時から中国のことももっと知ってみようと思い中国に留学、就職し今に至ります。

日本人と中国人は見た目ではわかりませんが、名字が中国名なのでこちらで出会う日本人に名刺など渡して自己紹介すると「日本語すごくお上手ですねー」などと母国語をほめられてしまいます。とは言ってもパスポートは日本じゃないし、日本人ですというのも事実ではないため、いつも困ってしまいます。仲の良い人には詳しく説明して理解してもらえますが、ビジネスなどで出会う人にいちいち説明していられないので「日本人です。」とか「日本生まれの華僑です。」と手短に紹介するようにしています。

こういう時、日本人がいかに島国文化の民族であるか感じさせられますね。まだ華僑という便利な言葉があるため説明しやすいのですが、息子の場合は巻き毛の中国人ということになるし、もっと複雑な説明をしなくてはならなくなるでしょう。でも、私自身それをネガティブなこととして考えません。むしろ新人類として、ほこりを持ってもらいたいです。

2003,07,18
投稿者:シャナイア
私も、一応、ハーフです。20代の女性です。
でも、日本では肩身の狭いハーフでした。
在日韓国人と、日本人の両親の間に生まれました。
日本人の父親がいるので、日本人として日本の学校へ行きました。


でもいつの間にかこの血のことで噂を立てられたり、
大学生のときには、デートした相手に自分の血を説明したら、「日本人とフランス人とのハーフだったりしたらかっこいいけど、韓国人とじゃなぁ」って言われたこともありました(笑)。笑うしか、ないですよね!
でも当時は、傷つきました・・。


両親からの人権教育ですが、はっきり言ってほとんどなかったんです。
母も父も、守られた環境の中で育ってきたので、こういう普通の公立校で、こういう状況に立つ子供の経験ってなかったんですよね。


私はアメリカ人と結婚しました。動機としては、ちょっと現実逃避もありましたが・・・。でも、自分の血について、絶対に誰からも、親戚内でも、批判されません。自分を丸ごと受け止めてくれる人たちで嬉しかった。

ずっと、日本で、「韓国人・日本人」、そして、半分在日韓国人であることが、なぜか犯罪者のように隠さないといけない雰囲気を感じていたので、本当に、こういった家庭でアメリカで過ごせるのは恵みだと思っています。

在日コリアン問題も、なかなか奥が深いようです。
私は、親戚同士の関係でしか知らないのですが、在日コリアンの中にも、親戚中で私たちだけが日本人の父親を持っているものだったので、中には「私達を馬鹿にするんじゃない!」と怒ってる人たちも少数いました。勿論優しい人もいました!


ほーんと、難しいんです。
「私と同じ日本人の血が入ってるのよね、親近感を感じるわ!」とか、「私と同じ韓国の血が入ってるのよね、親近感を感じるわ!」と思ってくれてもいいのに、逆に「げ、韓国人(日本人)の血が入ってるんだ」っていう風にお互いから取られちゃうケースもあるんです。まるで汚いものかのように・・・。それがとっても嫌でした。結局、自己肯定感を持てるか持てないかは、育った環境(家庭)と、自分の意識、とのバランス感覚だと思います。


だから、今、私は母親として、自己肯定感を持てるような環境を子供に提供できるような人になりたいなって思ってるんです。

でも、これは、まず、自分から自分自身のことを、肯定していかなくてはなりませんね。長い道のりですが、一歩一歩踏みしめています。

2003,07,17
投稿者:ケイシー
私は日本の公立の小学校を卒業して私立の中学校を卒業して、二年ほどフリーターみたいな事をオーストラリアでして、今はインターナショナルスクール(高校)で勉強しています。小学校四年の時にオーストラリアから日本に来たんです。

私は母親がスペインとマレーと中国との混血でフィリピン国籍、父親は純粋な日本生まれ日本育ちの日本国籍なんですね。すごくややこしいです(笑)

「人種」という定義で話をすると本当に私は混乱してしまいます。
母親はスペインからの移民で、フィリピンにいるときはずっとアメリカンスクールにいたようなんです。そしてアメリカの大学を卒業してるんですね。
父親はパイロットで、訓練でアメリカに行ったときに母親と出会い結婚しました。
そして家族でオーストラリアに渡りました。

父親は自分自身を日本人だと意識して、日本を愛する愛国心をしっかり持った日本男児です。それと違って母親はいろんな人種の方と一緒に勉強して、いろんな国に住んだ経験があるから、いわゆる国際人だと思います。

母親に「どこの国が一番好きか?」と聞くとオーストラリアだと答えました。
愛国心を感じるのはオーストラリアだと答えました。
私が生まれてから大体十年ほどを家族でオーストラリアですごしていました。
母親が言うには、国民意識というのは愛国心からくるのだとか。
自分の肌の色でもなく、顔の形でもなく、話している言葉でもなく、愛だと言いました。思えば私もオーストラリアに行く時は「帰る」という意識で行きます。その国がもつ魅力や環境を肌で感じて居心地がいいか悪いか、それがその人間に自分の国民意識を感じさせる要素ではないでしょうか?


けど母親は「何人だ?」と聞かれれば、フィリピン国籍のスペインとマレーと中国との混血だと答えると言います。母は私に「自分のルーツは、またそれはそれで大切な自分自身の存在の歴史だから、忘れずに抱えて生きていきなさい」と言いました。
すごく大切なことだと思います。私も面倒くさいですが、出会う人には自分のルーツを説明しています。日本人だ、オーストラリア人だ、フィリピン人だ、スペイン人だと一言で片付ける事はしたくないと思います。

私はどんな基準からも人を判断できないと思っているので、人種で人を判断することはできないと思います。けど正直な気持ち、悲しいかな、傾向っていうのはありますよね。
やっぱり文化を背負って生まれてきているんですもの。その言葉、行動一つ一つに国柄というのはにじみ出ることがあると思います。それは現実ですから受け入れていくしかないのだと思います。

私自身の話ですが、すごく複雑です。
外見だけで言うとほんとうに何人だかわからないらしいです(笑)
ある時はブラジル人だと言われ、ペルー人だと言われ、タイ人だと言われ、アメリカ人だと言われ、フィリピン人だと言われ・・・・キリが無いです。大体の人は私が何人かわからないと言います。決まった自分のイメージがないのです。

白人だとか黒人だとかそういうはっきりした見かけではないのでイメージもわきにくい、けどひとつ確かなことは日本人じゃないと言うことなんです。
それは日本で生きていくにはすごく面倒くさい事実ですよね。
ひどいいじめや偏見にも会いました。
カッコイイというイメージをもたれるような対象の見かけではないなので何者??
みたいな(笑) 母親はどうみてもヒスパニッシュなんですけどね(笑)
まぁ今は「自分はユニークなんだなぁ〜」くらいに楽天的に考えています。


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